花芯の蜜は極上の味(prli / イツキ / 女主)
イツキは悩んでいた。オオサンショウウオを模した巨大な饅頭を前に、とてつもなく悩んでいた。
食べようと口を開くたび、つぶらな瞳と目が合って考え込んでしまう。これは、どこから食べるのが最適解なのだろう。
そうこうしていると、持参した張本人である恋人が、饅頭にかぶりついた。それまではしゃいで、いろんな角度から写真を撮っては、「かわいくて食べられないね」と困り顔で何度も繰り返していたのに、突如容赦なく、頭から、行った。
信じられない顔で凝視しているイツキに気づくと、彼女は笑い、勢い余ってむせた。「イツキも食べなよ」苦笑いで勧め、またもや容赦なく、胴体を真っ二つにした。
イツキのこういった反応は、パフェの前なんかでも現れる。完璧な構成が崩れる瞬間に尋常なく動揺するので、毎回最初のひと口に手間取るのだ。
ショッキングな光景を見せてもらったおかげで、頭から食べる選択肢は真っ先になくなった。決心したイツキは、下半身から少しずつ、全体を縮めていく食べ方に方向性を定めた。
彼女は一足先に食べ終わりそうだった。こういう食べ物に手をつける順番は、必ず彼女が先、イツキが後だ。彼女はイツキほど考えすぎないたちで、悩むよりもまず行動する。イツキがしない・できないことも、彼女は平気でやってのけるし、いつも先を行って、石橋を叩き続けてなお躊躇しているイツキに、手を差し伸べてくる。その手を取って渡ってみれば、新たな発見が待っている。自分ではまず買わないだろう、この饅頭みたいに。
「見た目もかわいいけど、おいしかったね」気づくと彼女は完食していた。イツキはまだ食べている最中だったが、確かにおいしい。部位によって餡の入り具合も異なるようだ。
「また食べよう」
最後のひと口を咀嚼しつつ、イツキは彼女に頷いて見せた。密かに、次は頭から食べてみようと考えて。そうして、彼女の好ましい部分と自分に与える影響力の大きさを、再認識するのだった。





茶飲み友達のお茶請け話(prli / アレン / 女主)
RtLが終わり、BAEが悲願の優勝を果たした。アルバム発表を間近に控え、3人の家では──
「あのお馬鹿さんは、朝から何をしてるんです?」
夏準がコーヒー片手に首を傾げる。そこには、必死の形相で腹筋運動をするアレンの姿が。テーブルに頬杖をついて見守っていたアンが、タブレットを操作する。
「これ」夏準に画面を見せる。アレンの恋人が、キレのあるダンスを披露している動画だった。2日前、 HIPHOPダンスの大会中なんだと、アレンが自慢げに喋っていた。
露出の多い衣装でパフォーマンスする彼女。腹筋は見事な3本線だ。「僕たちが言っても聞く耳持たなかったのに、彼女には影響されるとか。ホント、アレンってかわいいよね〜」汗だくになって苦しむアレンに聞こえる声量で、アンがからかう。
普段、夏準やアンが早朝ジョギングやワークアウトに勤しむ間、アレンはもっぱら家で眠りこけている。休日も、レコードショップや音楽機材店などに行く以外は大方部屋に引きこもっており、不健康だと見かねたアンが外へ連れ出すくらいにはインドアなのだ。
夏準はアンににっこり笑う。「急にやっても、続かなければ無駄なあがきだとは思いますけど……やる気になったことは褒めてあげましょう」
「うわ辛辣」
「アンこそ、止めてあげないんです?」
「うーん。ほら、今度ジャケ写撮影あるでしょ?それまでに体仕上げるのも悪くないかなーって。まあ僕たちと違って、アレンの衣装は体のライン拾わないんだけど。僕たちと違って」
「アンは慈悲深いですね。今から間に合うと本気で思ってます?」
「さあ?寝ないでやればいけるんじゃない?」
どすんと音がし、ふたりは揃って視線を移した。床に転がったアレンは腹部を押さえ、息も絶え絶えになっている。
「は、夏準もアンもっ……好き勝手……」アレンが恨めしい目つきでふたりを睨んだ。「全部っ……聞こえてんだよ!」
「知ってる〜」「知ってますよ?」
「お前ら……!」





恋鏡(prli / 斗真 / 男主)
「リーダー、珍しくお疲れな感じ?」
「あれ、顔に出ちゃってた?」
「大丈夫、全然今気づいた。頑張るのもいいけど、ほどほどにしな最年少~!お先っ!」
笑ってメンバーを見送り、鏡に向き直る。化粧崩れほぼなしの顔を触り、反省。
(まだまだか、俺も)
だいぶ変わったと思ったんだけど。活動初期の動画を遡り、再び鏡を見つめる。……うん、かなり垢抜けた。
俺がメイクを覚えるだけに留まらず、アイドルにまでなったのは、ひとえに緋景斗真という存在に衝撃を受けたから。今日の帰りも斗真おすすめの下地を買う予定。推しと同じ肌質、助かる。
京脱退後も、俺はVISTYの価値が落ちたとは思わなかった。でも、そうじゃない人も多かったらしく、当時の握手会はどこか焦燥感が漂っていたのを覚えている。だからかな、咄嗟に口走ってしまったのは。
──俺が斗真を支えたい。俺が京の代わりになるよ。
あの頃俺は、駆け出しの研究生だった。斗真が瞬きすると、瞼のシアーラメが美しくきらめいて、ああ斗真って光さえも味方にしちゃうんだ、って見惚れて。
カーブミラー、パン屋のウィンドウ、水たまり。自分の姿が反射するたび、あのときの斗真を思い出す。
──君はさ、君のままでいて。
大人びた優しい笑み。握る手は温かく、力強かった。
遠回しに諦めさせようとした?それとも、いなくなった京を思ってた?俺には、斗真が斗真自身に向けて言ったようにも見えた。
アイドルは夢を見せるお仕事。けどあれは、斗真の本心だった気もして。どうとでも解釈できる漠然としたひと言は、今も胸に刻まれている。
下地を試して、また自分に問う。俺って何?
そうやって己と向き合ってきて、わかったこともある。斗真のように俺もまた、誰かの唯一無二になれること。俺の力で人を照らせること。
斗真と出会えたから、気づけたんだ。俺は俺らしく、もっと輝くよ。いつか俺の目に映る斗真を教えるときには、斗真の目に映る俺のこと、教えてね。





甘い睦言(prli / 依織 / 女主)
「ゆうべはほんま……最高やったで」気だるさに混じるは愉悦。
「ほんと、気持ち良すぎた……」まどろむ返事は、どこか蕩心として。
(あ、兄貴たち……なんつー会話を!)
紗月は真っ赤になって、依織の部屋の前で回れ右した。危うく、障子を開けるところだった!
依織が昨晩遅くに出かけ、早朝恋人とともに帰ってきたのは知っていた。喉が渇いて一旦起きたとき、ちょうどふたりが帰ったところを見たのだ。
依織が我が家に恋人を連れてくるのは日常茶飯事だし、眠すぎてスルーしたけれど、そういえば朝の挨拶をしてきた彼女の声は、少しかすれていた気も──思い出して、心臓がまた早鐘を打ち出した。
あんだけ猫可愛がりしてても、ちゃんとやることやってんだな……。複雑な心境になり、もはや遠い目をしていると、善とすれ違った。善が手に持ったお盆には、湯気の立ったカップがふたつ。進行方向は依織の部屋──
「っぶねー!?」
瞬時に善の服を引っ掴んでいた。善は、危ないじゃないかと注意しつつも、驚いて足を止めている。どう言い訳したものか。けど、今邪魔すんのは、いくらなんでも野暮だぜ!善兄!
「なんか甘い匂いしない?」「蜂蜜かな……?」焦る背後から、のんきな会話が聞こえてくる。ヤバい。なぜか全員、続々とこちらに集合している!紗月は、荒れ狂う海の防波堤がごとく体を張った。
「何してんのふたりとも?廊下のど真ん中で」
「いや、紗月くんが急に……」
困惑する善の手にあるお盆を見て、玲央が呆れ気味に笑った。
「兄貴たち、まーたカラオケでオール?」
「え」
「好きだよね〜ふたりで男女デュエット歌うの」
「仲がよくて、何よりだね」
「……善兄、それなんだ?」
「ああ!もしかして紗月くんも飲みたかったのか?」善が表情を明るくする。「レモンと蜂蜜入り、特製生姜湯だ!喉にいいぞ」
「善兄、僕もほしいな〜僕のは蜂蜜たっぷりめで♡」
「俺も飲みたい……紗月?どうしたの?」
「なんでもねぇ……」





上辺詐欺(prli / 依織 / 女主)
「遠慮せんと好きなモン言うてや。なんでも買うたるわ」
「いや、それは申し訳ないです!ちゃんとお金いただいたので大丈夫です!」
ていうかすみません、いかちぃ~とか思ってて。内心こっそり謝る。
昨年から、デパ地下のとあるお店のプリンにはまって、仕事帰りに時々立ち寄っている。そこでよく見かけるお兄さんと、今日も偶然一緒になったのだが、私がプリンを買ったあとの、列が空っぽになったショーケースを見て茫然と立ち尽くしていたので、つい声をかけたのだ。よければいりますか、と。
実は、買ったのを若干後悔していた。今年こそ貯金を頑張ると決めていたのに、仕事に揉まれて疲れたら、判断力が落ちて甘いものの誘惑に負けた。かなり我慢したが、負けた。
そんなわけで、ついでに人助けでもしちゃいますかと調子に乗っただけだったのに、お兄さんが思いのほか喜んでしまい、ついには好きなものを何かおごると言い出した。どれだけ食べたかったんだ。
キラキラした洋菓子がひしめく通路は大変魅力的だが、気が緩んだが最後、財布の紐も緩むのが目に見えている。しかも、お兄さんの財布から分厚い札束が覗いていて、私を余計萎縮させる。
いろんな意味で遠慮していると、お兄さんが眉を下げて苦笑いした。
「すまん。俺怖いなぁ?」
「え」
「堪忍なぁ。ほな、お言葉に甘えさせてもらおか」
お兄さんは私が渡した袋を胸元に掲げると、「どーも、おーきに」と軽く頭を下げて去っていった。数分前と同じ、哀愁漂う猫背で。
(……いや、待って!?)
誤解である。
最初見たとき、切れ長の鋭い目や背格好、服装に、いかついと思ったのは本当だ。が、プリンを頼む嬉しそうな横顔や、袋片手に去っていくときのご機嫌な足取り、何より今日の落ち込みっぷりを見て、かわいい人だなと思い直したのだ。
だから喜んでほしくて譲ったのに!ごめんだよ!次に会ったら絶対誤解を解かなければと考えて、また散財する未来が見えてしまった。





程遠い数センチ(prli / 四季 / 女主)
「気分転換に、場所を変えてみたら?」
授業中、浮かない顔でノートを睨んでいたから誘った──なんて建前。あの日は下心しかなかった。これは秘密だけど、闇堂くんが見ていたのは数学のノートじゃないことを、私は知っていた。
放課後。チェーンのコーヒー店で、私たちは長いテーブルに向かいあわせで座った。闇堂くんは注文に手間取っていて、聞けばこういう場所に来たことがないと言うので驚いた。さすがに嘘だと笑うと、闇堂くんは顔を赤くして縮こまっていた。私なんて勉強を口実に友達と来て、毎回全然はかどらずにおしゃべりへ突入するのに。
友達でもない私に半ば強引につれてこられ、ずっと困惑している闇堂くんのために、私は数学のノートを開いて課題をするふりをした。闇堂くんは少し迷って、例のノートを開いた。
あのノートには詞が書かれている。闇堂くんはシャーペンではなくボールペンを握ると、また考え込み始めた。
闇堂くんがラッパーだと知っている人は、学校でもごくわずか。それに、闇堂くんはひとりでいるのが好きそうで、誰かと話しているのを見たことがない。TCWは大人なチームだし、闇堂くんも精神年齢が高いんだろう。
私といえば、落ち着いて考えれば解ける問題が、いつまで経っても解けなかった。闇堂くんの意外な一面を知っていて、思い切って話しかけ、お茶まで漕ぎ着けた。優越感に浸っていたそのとき、闇堂くんがノートに顔を近づけた。書いては二重線で消してを繰り返していたのが、突然、淀みなく先へ進み出した。
空気が変わったのを肌で感じた。闇堂くんの気迫に、目が釘付けになる。私は、ペン先が紙を走る音が、あんなに鋭くなるとは知らなかった。
まるで、今いる場所も周りの音も、私の存在も、何もかも消えてしまったように。TCWの闇堂四季がそこにいた。目の前の私以外、誰も気づいていなかった。高鳴る胸を抑えられず、ただただ圧倒されて、課題はひとつも解けずに終わった。





パウダーシュガーの唇(prli / ロクタ / 女主)
仕事で久々に、長時間紫煙を浴びた。最初は気になった香りも、鼻が慣れてしまったのかもう感じない。絶対服や髪についたはずなのに。
「ただいま〜」
帰ってすぐ、京に消臭スプレーはどこか聞いたけど、教えられた場所にはなかった。部屋をうろついて探していると、室外と室内の寒暖差で鼻水が出てくる。一旦ティッシュで鼻をかんで、(げっ)私は慄いた。
鼻に広がる甘ったるいバニラの香り。やっぱり体に染み付いていたのだ。試しにもう一度、恐る恐る鼻をかむ。……まだ匂いが!鼻水、というか、全身がお菓子になってしまった気分だ。嬉しくない。好きな匂いではないしさっさと落としたい。
「あっ、いたいた!」
「ロクタ」
「はいこれ!イツキ兄が、……」
足音を立ててやってきたロクタの手には、消臭スプレーがあった。いつもは私が帰ると抱きついてじゃれてくるロクタが、ぴたっと足を止めたのを不思議に思いつつも、「さすがイツキ」スプレーを受け取ろうとする。
しかし、ロクタが手を離そうとしない。「ロクタ?」
「なんか──」口を半開きにしたロクタが、おもむろに私に迫った。「おいしそうな匂いがする〜!」
ロクタに見下ろされると妙に威圧感があった。普段の甘えたな態度に慣れていたためか、体格の良さに改めて驚かされる。
「え、えーと、これ煙草の匂いで、」「アイスの匂いだあ」
目を爛々と輝かせ、ロクタがどこかうっとりして言う。あたかも、私の表情や声など意にも介していない様子で。
本能的に顔が強張った。「ロクタ、スプレーを、」脊髄反射で催促していた。
「おいしそう。……」
不自然な無言。
ロクタの本気の目。
思わず鳥肌が立つ。恐怖なのかなんなのか、乾燥した目に涙が滲んでくる。ついまばたきしたその瞬間──ロクタが私の両肩を掴み、零れ落ちかけた涙を頬ごと、舐め上げた。
私の悲鳴を聞いて、イツキが数秒足らずで飛んできた。
「しょっぱかった〜」
ロクタはなぜかがっかりしていた。いや怖。





メランコリックレイン(prli / 匋平 / 男主)
ひとりでいたいのに、他人の存在をそばに感じていたい。上京して10年弱経ち、ようやくその淋しさを紛らわせる手段を得た。
Bar 4/7。徒歩圏内にあるその店へ、雨の中歩いていく。今日みたいな天気が俺は嫌いではない。雨粒と店内BGMが織りなすメロディに耳を澄ませ、孤独と繋がりのあわいで揺られるのは、不思議と心地いい。
「いらっしゃい」
俺はいつも、マスターの所作がよく見えるカウンター席に腰掛ける。彼は強面で少し恐いけれど、雰囲気があって好きだ。若い店員がふたりいるが、彼がいると空気が程よく引き締まる。
月に1、2回足を運ぶ俺を、彼は覚えているらしかった。しかし話しかけてはこない。それがまたいい。鞄から取り出した本の続きを読んでいると、ドアベルの音がした。俺の右に、席をひとつ空けて客が座る。
──依織。
聞いたことのない声色に、俺は思わず顔を上げた。見ればマスターは、いつもの無愛想な顔ではなく、俺は呆気に取られた。
いかにも夜の人間という風体の男が、関西弁で話しかけている。太い金色のチェーンネックレスが目に痛い。薄暗い店内でさえ、男の周りだけぱっと華やいで見えた。しっとりしたこの店に似合うのが雨なら、男はピカピカの晴天だ。明るすぎるのは苦手だった。間隔があっても腰が引けた。
気さくに話す男を、マスターは意外にもあしらわず、そればかりか一緒になって世間話を始めた。
羨ましい、俺だって──そんな感情がこみ上げてきた瞬間、羞恥心と隔絶感に襲われ、ふたりを直視できなくなった。早くあの男が店を出てくれないか。気がそぞろになって目が滑る。耳が勝手に会話を拾い、本の内容が頭に入ってこない。
俺の知らないマスターの歓笑が聞こえるたび、男への妬ましさで気が重たくなった。あれを遮って会計を済ませなければならない。傘をさしてのこのこやってきたのが馬鹿みたいだ。ひとりの帰り道の想像が、俺の背中に冷たくべったりと張りついた。





浮き花に寄せて(prli / イツキ / 女主)
あなたが道端に咲いた花の名前を忘れてしまったときから、俺は、あなたとの関係の脆弱性について考えさせられている。あなたが綺麗だと言い、俺が教えたあの花の名を、あなたは思い出さなかった。
あなたのそばは、1Nm8として過ごす居心地の良さとは似て非なる。ただ、かけがえなく、特別なものであるとは断言しよう。だが、これに明確な名前を冠し、額装して、常にあなたの目につくようにしておかないと、俺たちの関係はルーティンワークさながら平坦と化し、やがてあなたの意識に上らなくなるのかもしれないと、最近よく考える。俺ばかりが花の名前を、あのときのあなたの横顔を、まなざしを、声の調子を、天気を、花の香りを、いくら覚えていたって意味がない。
人生は取捨選択の連続だ。俺が捨てたくとも捨てられない記憶も、あなたを含めた多くの人々にとっては、日々手に入れては他愛もなく手放すものでしかない。
俺に優しく笑いかけるあなたが、疑う余地なく善良で、しかしきわめて凡庸な人間であるあなたが、あの花の名前を忘れ、思い出そうとする努力もせず、綺麗だと、以前と全く同じ曖昧模糊な形容で片付けたあのとき、あなたの知らないあなたの残酷さを俺は思い知った。移り変わるあなたの心からいずれ消失するものたちに、俺が紛れ込んでいないか不安になり、そうでないようにと願った。
なぜ人は、枠や型にはめたがるのか。俺はラッパーとして言葉を扱い、抽象の具現化にこだわる性格でありながら、そういった行為に懐疑的でもあった。言語を用いた表現は、感覚や感情にまつわる微妙なニュアンスを削ぎ落とし、時に本質を損なうように思えたからだ。けれどあなたの無邪気な残酷さを知った今、それしか縋るものがないのだとも理解できる。
リリックノートに言葉を綴り、いくつかは選ぶとき、ふとあなたを思い出す。綺麗なだけでは残らないのなら、あなたの心へ留まり続けるために、俺は何ができるのだろう。





ひだまりの君(prli / ロクタ / 女主)
お店を出て、外観の写真を撮る。『ここ、ランチで唐揚げ食べ放題です』場所を共有してメッセージを送信。タイミングがよかったのか、すぐ既読がつく。
『よかったらロクタくんと一緒にどうぞ!』
満腹で幸せ。イツキくんたちの顔を思い浮かべ、私もまた来ようと考えていたら、突然着信が入った。イツキくんからだ。初めてのことで驚いたが、鳴りやまない着信音に、もしかして間違い電話かなと冷静になって出る。
「もしも、」「なんでぇ!?オレたちと一緒に行こうよ~!」
スピーカーから大きな声が響く。危うくスマホを取り落としかけた。
「ロ、ロクタくん?」
ロクタくんとは連絡先を交換していない。イツキくんとだけ交換したのは、あっちのスーパーで特売があるとか、あくまで最低限の必要に駆られたからだ。
「電話をかけてすまない。ロクタが、あなたと行くと言って聞かない」イツキくんの落ち着いた説明。そこで私は、ロクタくんの言葉の意味を遅れて理解した。「えっ」
「イツキ兄!返して!」遠くから不満の声。電話越しのイツキくんは無言だが、躊躇いの雰囲気が伝わってくる。当たり前だ。多少仲がいいとはいえ、他人の私が一緒に?ロクタくんや私がよくても、イツキくんはあんまり快く思わなさそう。イツキくんは──失礼ながら──排他的な第一印象が強い。悪い子じゃないけど。
私はもう十分満足したのでと、断りやすい口実を出そうとしたら、「よければ俺たちと……ロクタと、一緒に行ってやってほしい」予想外の台詞が来た。
まさかのお誘いに動揺していたら、「ロクタが代われと言っている。悪いが一度代わる」と聞こえて、つい耳からスマホを少し離す。
「急に電話して、ごめんなさ~い……」
注意されたらしく、今度は控えめな声量だった。大丈夫だよと返せば、「絶対、一緒に行こうね」声色がわかりやすく明るくなった。
「一緒だよ!約束!」
前のめりに取り付けられた約束がかわいらしくて、思わず頬が緩んだ。





光源のあなた(prli / 甘太郎 / 女主)
ホーム画面いっぱいに映った三洲寺甘太郎が、愛らしい満面の笑みを浮かべて頬ハートを作っている。
『今日も最高に』文字を打ちかけて気が変わった。彼女はXのアイコンをタップする。アイコンは、彼女の後ろ姿の写真から、グレーの初期画像に切り替わる。
『認知されないのしんど』
送信し、大きな溜息を吐く。こんなこと言うから、認知されないんじゃんね。電車に揺られて、内心自嘲する。
キラキラしたかわいい甘えん坊、なだけじゃない、本気になれる甘太郎が彼女は好きだ。でも、そういう彼を追っていると、彼女は自分のちょっとした心の醜さを自覚して、嫌気が差す。
飲み込もうとした。甘太郎に倣って前向きでいようと努力した。でも、次第に耐えられなくなって、吐き出す場所を作った。そこで初めて暗い言葉を呟いたとき、人として終わった気分になった。ステラだからどうこうではなく、人として──甘太郎には見向きもされない人間なんだろうなと、彼女は己を評する。
『足りないものしか見えない。なんでみんなたくさん持ってるの?』
TLの呟きに、彼女はいいねした。単なる掃きだめアカウントの、少ないフォロー中のひとつが、この裏アカウントだった。
“ネガティヴ全部ブロックでいいでしょ”。この手合いのアカウントを見ているタイプなんて、甘太郎は軽蔑するに違いない。わかっていても、ホームに飛んで過去の呟きを読んだ。嫉妬、羨望、寂しさ、不安。それらを目にすると、彼女はブランケットに触れているがごとく安心した。
甘太郎の目に映る自分は、砂糖菓子みたいにかわいくて純粋で、後ろを向かない一生懸命な女の子でありたい。甘太郎の誇りになるような星の子。例え、認知されていなくても──
心が汚いのは自分ひとりではなくて、見知らぬどこかの誰かも同じだとわかったら、彼女はもう少しその嘘や見栄を続けられる。どこにでもいる彼女は今日もただ、甘太郎の喜ぶ顔が見たくて、幸せであってほしくて。





雲間に覗く(prli / cozmez / 男主)
インターホンのモニターを前に、珂波汰はヘッドホンを外して首にかけた。
「今日なんも頼んでねえけど、」「服!」「は?」
「雨来てます雨!外!服!」
催促されて渋々ベランダに出ると、珂波汰に向かって突風が吹き付けた。酷い曇天だった。数秒遅ければ、音楽が鼓膜を塞ぎ、呼び出し音に気づかなかっただろう。
あの配達員は仕事が早い。雑でもなく、無駄口叩かず愛想振りまかず、さっさと消えるところがいい。
だから、わざわざ忠告に来たのは意外だった。珂波汰は乾いた服を取り込むと、思うところあって冷蔵庫を開けた。つきっぱなしのモニターには、もどかしげに佇む姿が浮かんでいた。
珂波汰がドアを開けて現れると、彼はほっとした表情で「ちょうど別の配達あって。失礼しました」と会釈した。無表情以外の顔が、珂波汰の目には新鮮に映る。まともな口を利かれたのも初めてな気がする。低画質の映像ではわからなかったが、彼の上半身は濡れていた。
「ん」「わっ?」珂波汰が投げた缶コーラを、彼は驚きつつも器用にキャッチした。
「それ。やる」
彼を追い返し数分経たないうちに、濡れ鼠になった那由汰が入れ違いで帰宅した。リビングに入ってきた那由汰の表情は、雨に愚痴る割に暗くない。「珂波汰、取り込んどいてくれたんだ?サンキュ」
「いいけど、早く風呂入れよ。……那由汰ぁ。よく来る配達のヤツ、覚えてっか?」
那由汰が冷蔵庫を覗き、「ネコ?」と聞き返す。
「イーツ」「あー、なんか黒いキャップの?」缶のタブを引き、炭酸の泡立つ音がする。「そいつ。教えにきたわ。雨だって」
那由汰が缶から唇を離し、珂波汰を見やった。丸い目がさらに丸くなっていた。「やんじゃん」
「コーラやった」「え?それ俺の!」「俺が飲んでもいいっつったろ」「珂波汰が、な!?別に──」那由汰の視線が、洗濯物の山に吸い込まれる。例の配達員と出入口ですれ違ったのを思い出し、「……まあ、たまには?」と溜飲を下げた。





薄い目蓋に赤い花(刀剣 / 加州 / 女主)
ごめんなさいと断るのも、こう何度も続くと心苦しくなってくる。
意を決し、審神者は近侍に問うた。
「加州。……加州は、強くなりたくは、ない?」
彼女にとって始まりの一振りは、何よりも優先される特別な存在だった。けれども、あとから来た刀たちが次々修行の申し出に来るのに、彼が来る気配は一向になかった。
悪い想像ばかり膨らんだ。やっぱり私が頼りないから。無能だからだ。つまらないし。出来損ないの自分に付き合ってくれていたのもお情けで──そんな卑屈さを見透かしてか、加州が白い目を向ける。
「今の俺が、本当に強くなれると思ってる?」
頭が真っ白になった彼女の口から、口癖の「ごめん」がついて出た。加州との思い出が走馬灯のように浮かび、みるみる色褪せていった。
私のせいで……。口走りかけたのを、加州が「あのさ」と遮る。赤い瞳は、出会ったときより強い輝きを放って美しく、ただ彼女を見据えていた。
「主は俺のこと、いつだって愛してくれてるよね。でも、なんで主は、主を愛してくれないわけ?俺の──」加州が歯噛みする。「俺の主に、酷いこと言うな」その瞳が潤み、赤くなる。そして、それを隠すようにうなだれた。
「主と一緒にいたら、一緒に強くなれる気がしてた。主もそうだったらいいなって、ほんとはいつも思ってた」
やっぱ俺じゃ、だめだったかなあ。
言葉の切っ先が震えた。
彼女が言葉を失った。思わず、加州を抱きしめていた。次に出たのは、「気づかなくて、ごめん」。
「……ほらまた。謝った」
加州の手が、こわごわ彼女の背に回る。泣きじゃくる彼女の体は、熱かった。
「私、強くなる。加州が戻ってくるまでに、絶対」互いの腕の力が強まった。「うん。帰ってきた俺のこと、絶対、使いこなせるようにしてよ」加州が続けて、まあ、と言葉を濁す。
「俺が主の、いーっちばんだってのはわかるけど?まずは近侍から外してくれないとなー」
泣き顔の加州が、悪戯に笑って種明かしした。





境界線を溶かして(prli / 西門 / 男主)
憧れとは、時に思い上がりや馴れ馴れしさを生み、時には他者を過剰に遠ざけて、しばしば距離感を狂わせるものである。それで言うと、西門直明は圧倒的後者だった。
(うーん)
小教室内を練り歩きながら、西門は内心苦笑した。6つの班ができているが、どこも西門が見回りに来ると、緊張して体を強張らせ、萎縮してしまう。
学期初め、新たに小人数の演習クラスを受け持つと、大抵いつもこうだ。気長に待つのは性に合っているが、議論が活発化せねば授業の進行や学生の理解度に差し障りがあるし、単純に、距離を感じると寂しくもなる。
「先生」通りすがり、ひとりの男子生徒がぎこちなく手を上げた。
「ん?なんだい?」
「すみません、よくわからない部分があるんですけど……いいですか?」
「もちろん。どこかな?」
西門は机に手をつくと、腰をかがめて班の中央に身を乗り出した。班員それぞれが一様に口ごもる中、男子生徒はしどろもどろになりつつも、レジュメやルーズリーフを指さし質問した。
嚙み砕いて説明していた西門だったが、ふいに男子生徒の視線を感じた。「先生って、そういう言葉使うんですね」彼が、目をぱちくりさせていた。いわく、西門が途中で砕けた──ありていに言うとHIPHOPスラングを──口走っていたらしい。無意識だった。言われて思い返してみれば、神林との会話でも多用している。というより、恐らく神林から移った口癖だ。しかし、指摘されたのは初めてだった。
な、と彼がほかの班員に同意を求める。確かに、と女子生徒が意外そうな顔で呟いた。場が少し和み、全員の表情が素に近くなる。
「いや、お恥ずかしい」西門が冗談めかして言うと、彼らは顔を見合わせてくすくす笑った。話は横道に逸れていたが、件の男子生徒が興味津々といった様子で西門自身について尋ねるので、西門も答えることにした。好奇の眼差しが集まり始めるのを背に感じつつ、西門は心の中で、彼にちょっぴり感謝した。





誘夢燈(prli / 葵 / 男主)
もう降りる。
いい年した大人なのに、悲鳴じみた慟哭を上げていた妹が、魂の抜けたような顔で突っ立って、そう宣言した。居間にいた俺も母さんも父さんも、皆、世界の終わりでも告げられているのかと思った。
けど、世界は案外普通に回ってく。月日が経つと妹も元気になり、京が表舞台に舞い戻っても、もう目もくれなかった。俺をこちら側へ引きずり込んだ張本人が、俺を差し置いてのんきに過ごしているのが恨めしかった。
ただの妹の付き添いだったあの頃。俺には、キラキラしてて、目がくらむ世界だった。妹も含めた、他人の熱狂が恐かった。妹の当選メールに、こんな金額払ってんのかよと目を疑った。
彼は、完全アウェーだった俺を見つけた。俺の顔を覗き込み、ひめ、と唇を動かし、力強く頷いて、優しく微笑みかけた。
(あ、本物?)が第一印象。本物って?って聞かれると、説明は難しい。でもあの日、俺は信じた。呉羽葵という人間。自分の直感。
『姫、僕だけを見ていてほしい。もうすぐだよ。』
葵に出会ってから、俺は言葉の重みに過敏になりだした気がする。でもそれは、あくまで俺の憶測に基づく重みであり、いつだって不安定に揺らいでいる。
妹が担降りしたあの日。偶像の絶対的センターがもたらしたのは、絶対なんてないという最悪な夢の破壊だった。それまで他人事だった誰かのスキャンダルや悲しいニュースに、明日はわが身かもと心のどこかで怯える日々は堪えた。応援すると意気込んで顔を上げても、俺が見てるのは所詮一面だと弱気になって俯くの繰り返し。とんでもないことに足を突っ込んでんなって、今更。
ステージが暗転した。この数秒先が、全部嘘で、虚構で、期待も何もかも裏切られる苦い現実が待ち受けていて、俺は踊らされて無駄金を使った、単なる馬鹿になるのかも。
……でも、俺はやっぱり、どうしたって葵から目を離せないんだ。
星がまたたく。僕を信じて。記憶の中の瞳が、そう言ってる気がした。





いとに繋がる(prli / 珂波汰 / 女主)
(曲作ってるときは、あーいう悩み方しないんだよなー珂波汰)
スマホ片手にうんうん唸っている兄の後ろ姿を盗み見て、那由汰は内心ひとりごちる。そろそろ腹も減ってきた。助け船を出してやるかと、那由汰は「かーなた」と軽く声をかける。
「んあ、何」
「なに悩んでんの」
「……あの、さ」
「うん」
「服ってよ……どうやって直すんだ?」
「何。どっか穴でも開けた?……まさか、こないだ買ったやつじゃないよな!?」
「ちげーよ!俺のじゃ、」「は?」「あ」決まり悪そうな珂波汰の頬が赤くなっていく。ふと那由汰の脳裏をよぎったのは、兄の後ろをちょこまかついて回る少女の姿。
「あー……、……な?」半笑いを浮かべた那由汰に、珂波汰が呻いた。
「直すっつっても、程度によるけど?」
「う。……だよな。えーと」
珂波汰が歯切れ悪く、けれど自分の持てる語彙と表現で説明し始める。生地はシャラシャラしたやつでとか、ひどく抽象で曖昧だが、記憶を手繰り寄せ、なるたけ細かく伝えようと努力しているのが窺えた。
弟のセンスを信頼しているといえば聞こえはいいが、服装にこだわりのない兄が。いつもは着せ替え人形でしかない兄が!自分のでもない服を事細かに覚えていて、当の着る本人のように悩んでいる!
服にできたほころびのサイズまで、那由汰にははっきりわかった。どんな対処を施せばいいか、ある程度検討もついた。なんなら、彼女がどれだけその服に愛着があったのかさえ──けれど。
(俺が言っても、興味なさげだったのに?)
少しでもファッションに関心を持ってくれた嬉しさより、若干のおもしろくなさが、那由汰の中で頭をもたげた。
「いや、素材の名前くらいわかれよ」
服の持ち主に聞けばきっと一発でわかる答えも、素直でないこの兄には、大きな宿題に違いない。次に泣きついてきたら、同じファッションを愛する者のよしみ、彼女に免じて教えてやるか。しれっと悪戯心を隠し、那由汰はほくそえむのだった。





心に照り映える(刀剣 / 孫六 / 男主)
刀にとって物語とは、いつだって与えられるものだ。何々を切った刀、何某が手にした刀。語る口すら持たない刀に、自ら物語は紡げない。
審神者が、少々乱雑に引き出しを漁っている。読書中の孫六が、ちらりとその背に目を向ける。取り出されたるは、誰かの忘れ物らしきヘアゴムだった。
歌仙が口酸っぱく言ってもどこ吹く風と、伸ばしっぱなしな審神者の髪。その横髪がかき上げられ、ひとつに括られる。
机に向かって俯きがちでは、長い髪もさすがに鬱陶しくなったのだろうか。何気なく観察していた孫六だったが、おや、とページをめくる指を止めた。髪束が毛先まで引き抜かれず、髷を逆さにしたような、小さな輪っかになっていた。後先考えず主人と呼びかけた声を、孫六は咄嗟に飲み込んだ。
己の後頭部、似たような形になっている部分に触れると、孫六はなんだか面映ゆかった。顕現して日は浅くないのに、仮初であれ人の姿を得たという実感が、今更湧いてきた。骨や肉を断つ感触?血の匂い?いいやそんなものは、一振りの刀でしかなかった頃とそう変わらないのだ。
俺は、あんたたちのことが好きだ。かつて名だたる使い手たちに振るわれていた時代にも、宿った心はそう強く叫んでいた。それでも、伝える術はなかった。
「主人」
「どうした?」
審神者が振り返る。まだむずがゆくて──それに勘違いの可能性もあるだろうし──孫六は審神者を指さし、次に己の頭を指さした。
審神者が怪訝そうに自分の頭を撫で、ぴたっと固まった。次の瞬間、ヘアゴムを素早く外すと、孫六から顔を背け、髪全部を雑にひとつへ束ね直した。だが、髪がまとまったせいで、真っ赤な耳が丸見えだった。
意図が通じた。……図星だったのか!孫六は笑いを噛み殺した。
たくさん打って、たくさん折れた。折れた数だけ、物語があった。
刀が自ら物語を紡ぐ。そんな夢物語の時代を生きることに、ふと孫六の胸が躍った。ささやかな萌芽が、春風にそよいでいた。





謝るくらいなら愛さないで(刀剣 / 山姥切 / 男主)
心奪われた瞳からこぼれ落ちた、「きれい」。次いだのは、「ごめんね」という優しい謝罪だった。
初期刀として顕現した日のことを、山姥切は繰り返し回顧している。
審神者は山姥切をよく褒める。ただし、外見を除いて。戦場や遠征先での働き、本丸での行い、演練での頑張り──最初こそお世辞かと卑屈になったが、そのうち、もともとそういう男なのだとわかってきた。
内心、気分がよかった。特に戦いぶりを褒められると、刀としての矜持が堅固になっていく手応えがあった。見た目に言及されなければ、不快感も味わわない。
以前、何を思ったか不安になったらしい加州が、外見について触れないのはなぜかと審神者に尋ねていた。審神者は、生まれ持って簡単に変えられないものは、好ましくても褒めないことにしていると説明していた。偶然それを聞いていた山姥切は、ようやくあの謝罪の意図を理解した。
一見他人には解しがたい自分の苦しみを、審神者は尊重できる。そう思うと、記憶にある審神者の声がぬくもって、心をじんわりと溶かす心地がした。
またある日は、自分を見つめる審神者の瞳が、時折初対面の輝きを秘める瞬間があるのに気がついた。けれど「きれい」は、決して出てこなかった。
あれから審神者は、本人が気分を害さないならと、加州を「可愛い」と褒めるようになった。ほかの刀剣も、加州よろしく賛美をねだりだした。応える審神者は、恐らく本心でだ。
そんな様子を遠くから見ていても、審神者があの瞳をすることはない。ひそかな優越感を覚えるものの、あの瞳にらしい言葉が伴ったのは刹那のことで、それはもう山姥切の記憶の中にしかない。
きれい。もう一度、そう言ってくれないか。
追憶のたび、馬鹿げた妄想をするようになった。素直に頼むなんてできない。奇跡的に聞けたとて、偏屈な自分が口先で拒むことはわかりきっている。
過去の「ごめんね」を断ち切りたい。でもそうしたら、今の自分はないのだろう。





恋は人を役立たずにする(刀剣 / 孫六 / 男主)
「馬肉好きって聞いて」
ざわざわした居酒屋で、今まさにつまんでいた桜ユッケのぽとりと皿へ落ちる音が、孫六には確かに聞こえた。さらりと受け流す体で用意した「へぇ」は、流れるというか、こけた。審神者が愉快そうに笑った。
「あー。孫六的には違う答えだったか」
「主人の答えを否定する気はないが……少し、拍子抜けだね」小さな塊を箸でつまみ上げ、口へ放る孫六は、どこか哀愁が漂っている。
「まず、酒が飲めるかだろ」審神者が指折り数える。「酒が飲めても馬は食えない。焼きはいけても生はNG。あとは馬当番してたら無理んなっちゃった」孫六もならって、男士たちの顔を思い浮かべては消していく。
「それで?残ったのが俺、ねえ……うん」
「いや、そんな消極的な感じじゃないよ!?さすがに恋人にした理由は」
「要はきっかけか?」
「そう、きっかけって言いたかった」
「……うーん」
箸を休めたままの審神者が、困り笑いで「地味すぎか、きっかけが」と尋ねる。
あながち間違いではないかもしれない。物語の中の、きらめきに満ちた一瞬を当然と思い込んでいた手抜かりか。あるいは逸話に富んだ身には、ちと生活臭を帯びすぎた端緒だったか。
「逆に聞きたい」審神者が、孫六の瞳と同じ色の切子グラスを持ち、中身を見下ろす。「どうして孫六が、俺を好きになったのか」
「え」
ひと口飲み、審神者は孫六のほうへグラスを傾け、人差し指を向けた。
「どこで?俺本気でわかってない、未だに」
「どこって、……」軽く笑ってあっさり答えるはずが、言葉に詰まる。
どうしたものか。思いつく答えは、審神者同様、どうもしまりがない。早く答えねば威信に関わる。焦る鼻先に、日本酒の馥郁とした香りが絡みつく。思考と酔いが回って、頭が馬鹿になりそうだ。
審神者と目が合った。その瞳に、面白がっている感情を読み取れて、思わず脱力する。
「主人。意地が悪いよ、まったく」ふてくされた孫六が、桜肉を鉄板へ押し付けた。





夜空はすべて見ないふり(prli / アン / 女主)
今年の月見、アタリ。親友が口元のソースをぬぐって神妙に呟くと、ブランコがキイッと鳴く。
公園の時計だと、2時間もしたら明日が来るのに、僕たちは家に帰らない。高校時代、ここでどれだけ話が盛り上がっても、心のどこかで門限がってヒヤヒヤしてた。本気で家に帰りたくなくて、けど、最後は恐怖に負けて。無力感と寂しさを抱えないといけないひとりの帰り道が嫌いだった。
ブランコを漕いでいたキミが、怖いかも!と叫んで地面に爪先を擦る。スニーカーが砂埃で真っ白になってて、僕も漕いでみたくなった。バイトもBAEの活動もない、ただ親友と話すだけの夜。メイクは少し早めにオフして、服も靴もラフなので来てる。僕は地面を蹴った。
長く伸ばした髪が絡まずなびいて、シャンプーのイメージモデルみたいな、なんか自慢げでいい気分。そんなに漕いでないのに、体はぐんぐん宙に浮いていく。あれ?子どもの頃って、もっと頑張って漕がないとこうならなかったよね?ふわっと浮遊感がきて、確かに怖!ってなった。止まるのも、慎重にしないと体が放り出されそうでハラハラした。
「ね、怖くない?」
「怖い!」
フライドポテトの匂いをまとったキミが、にやっと笑った。ふたりで、今度は控えめに漕ぐ。
楽しー。涼しー。月見えなーい。鉄の軋む音、会話に満たない言葉たち。ブランコに寄りかかって瞼を閉じる。そしたら思い出した。ブランコに乗ったら真っ先に漕ぎそうなキミが、というか今日実際そうだったキミが、あの頃は必ず僕の隣で止まっていたこと。嬉しいことも悲しいことも、僕たちはたくさん共有してきた。どこか汚したら、ママが寄り道に気づくかも。なんて不安も、もしかしてバレてた?
体を動かしてないのに、このまま止まらないんじゃないかってくらい揺れ続けるブランコに、アレンと夏準が待ってても結局、帰りたくないなあって思っちゃった。でも、帰り道はもうきっと、虚しくなんかないよ。ありがとう。





夜に書く青い恋文(prli / 憧吾 / 女主)
きっかけは、ささいなことだったはずだ。
学校に行けなくなった。家から出られなくなった。不眠症になって昼夜逆転して、1年以上が過ぎた。
皆には、ただの甘えにしか見えないだろうな。だから早く寝ないとって目を閉じるけど、静かな夜は私を責める声が耳の奥でこだまして、余計焦って眠れない。
ママ、わかってよ。私も不安だって。皆と同じ普通になりたい。学校だけが人生じゃないって人もいるけど、私はやっぱり、皆と一緒がいい。
このまま、中卒ニートになっちゃうのかな?そのあと親が死んじゃったら、私どうなるの?
ダメってわかってるのに、唯一の居場所みたいなスマホを見てしまう。ただ、TLを何回更新しても、さすがに皆寝ていて、私はおかしいんだって絶望する。
『こわいよ』『どうなっちゃうのかな』呟くたび、孤独で涙が溢れてくる。
皆が起きる前に消さなきゃ。惰性でスワイプをしていたそのとき、大好きな顔がぽこんとてっぺんに現れる。
『なんか眠れないなぁ。』
(憧吾くん)
すぐRPすると、緑色の四角矢印に1が並んだ。脊髄反射でスクショする。皆同時に押しただけってわかってても、1番乗りだと嬉しい。なんにもできない私が、達成感を味わえる瞬間。
憧吾くんの呟き、わかるって共感できる部分多くて好き。増え続けるRPといいね。案外皆起きてた。それに、憧吾くんも眠れないんだ。この画面の向こうで、起きてるんだ……。
『あいたい』
あとで消す前提で、思い切って痛い引用をする。どうせ埋もれる、よね。
画面の中で動く憧吾くんを見れば、家から一歩も踏み出せなくても、それはいつだって本当の気持ちだった。そして心が、体も家も飛び出して、憧吾くんと一緒に、きらきら自由に踊った。家にいる私は、本当の私なんかじゃない。憧吾くんといる私が、間違いなく本当の私だった。
いつか本物の憧吾くんを見に行きたい。もがく気持ちに体が追いつき、思い通りになるその日を、私はずっと、夢見てる。





熱持つ頬をつねってほしい(prli / アレン / 男主)
相手の横顔を覆い隠しそうな、大きく骨ばった手のひら。頬をすくう優しい手つきとは裏腹に、相手の唇へ噛みつき貪る。ケーキにかぶりつく子どもみたいな姿がみっともなくないのも、なんなら絵になってしまうのも、あいつの場合、ある意味才能と呼ぶんだろうか?
クラブに来て何をするかなんて、当人たちが決めることで、俺の口出しすることじゃない。俺らをBGM扱い、ガン無視上等。いつもなら、その顔こっちに向けさせてやるよって、意気込んでたのに。
──まるでプールにダイブしたような快感が、俺のいるステージ上まで打ち寄せてきたんだ。暗闇にこぼれるカクテルの水色が、相手の手から落ちて割れたグラスの音が、ライチの甘い香りが、情熱の炎に水を差した。
至近距離、俺の音楽が完全シャットアウトされた空気に、一瞬とはいえ、興を削がれてしまった。
あれから俺は、あいつが嫌いだ。
「いいじゃん、お前彼女いたっけ?」
「いないけど。ん~、気が向いたら行く」
2列前、斜め左に座ったあいつ。へら、と腑抜けた顔すら、妙に様になってるのがまたムカつく。今朝も誰かとイチャついてたのに「いない」って……またワンナイトかよ!
夏真っ盛り、前期試験の最中というタイミングが、普段以上に俺を苛立たせる。まさか同じ大学だったなんて。しかも同い年。年上だと思ってたのに、なんか損した。
「アレン。また彼を見ているんですか?」
「夏準」
「付き合う相手はよく選ばないと」夏準が微笑むと、毒づきまでは聞こえなかったらしい位置から、黄色い悲鳴が小さく上がる。「이따 봐」
夏準の去り際、ライチの香りが鼻先をかすめて、つい匂いを辿って振り返る。後ろのやつのペットボトルからだ。あの夜を思い出して、なんだか喉が渇いてくる。あの、陶酔しきった相手の顔。俺の音楽より夢中になるなんて、一体どんな──
鼓動の音量が蝉の合唱を上回りかけて、俺はようやく我に返った。そして呆れた。もう何回目だよって。





夢のロジック(prli / イツキ / 女主)
「子ども扱いしないでくれ」
「別にしてないよ~」
わざとらしい溜息をついていても、私に引っ張られるがまま、膝上で仰向けになるイツキはかわいい。ロクタと違ってなかなか甘えてくれない……というか皆無なので、時々こうして恋人特権を行使する。
勝手に眼鏡を外し、「おい」「ん~?」見上げてくる両目に、そっと手のひらを伏せて目隠しする。文庫本を開いて持っているイツキの指が、ぴくっと跳ねた。
「何も見えない」
ステージに立っているとき、イツキはよくまばたきを忘れている。本人に自覚はないだろう。目薬を買ってはどうかと提案したら、怪訝そうにしていたから。
「恐い?」
答える寸前、唇が一瞬きゅっと結ばれる。「いや、」否定のわりに強張る体。
しばらく無音が続いた。
「そこに、いるのか?」
気まずそうに聞かれる。ふんわり乗せた手のひらに、ぱしぱし羽ばたく睫毛を感じる。暗闇にきょろきょろ視線を彷徨わせている様子が想像できて、思わず爪先がぱたぱたした。
「やだな、いるに決まってるよ。ほら、触ってるでしょ」
鋭く冷めたまなざしで、忌み嫌っているはずのその力で、イツキはいつも京ちゃんたちだけじゃなく、ヘッズたちも一心に見据える。誰のことも、どんな瞬間も、絶対に忘れてやらないとでも言いたげに。私はそれが、何よりも嬉しい。
「何か喋っていてくれ。でないと」
「でないと~?」
「……、もういい」
「え、ちゃんと喋っててあげるって。しりとりでもする?」
イツキが脱力してぐんにゃりする。ダル絡みしてたら呆れられてしまった。
りんご。ごま。まど。どうぶつ……。イツキの声が柔らかく、言葉はあやふやになってくる。ついに応答がなくなって、耳を澄ませると、静かな寝息が聞こえた。片手を伸ばして本を抜き取り、スピンを挟んでおく。
私のことはさ、別にはっきり覚えてなくたって、忘れたっていいんだよ。でも、これから増えていくイツキの大切なものは、全部ずっと、覚えていてね。





スイートフィオーレ(prli / 西門 / 男主)
最近はいわゆる推しのイメージ香水を作る人なんかもいるけど、俺に推しはいない。自分好みの香りを作っても、俺は結構こだわりがあるから、手持ちの既製品と似た感じになってしまいそうだ。
オリジナル香水。興味はあっても二の足を踏んでいたので、俺と同じく普段から香水を愛用している西門先生に、お互いをイメージした香水を作りに行きませんか、と誘ってみた。
店内は女性客が多く、店員さんも女性だけで、先生は慣れないのか少しそわそわしていたが、作成にとりかかると持ち前の探求心と好奇心で、あれこれ質問していた。ムエットに鼻先を寄せる姿はベテラン調香師のような趣があり、つい感嘆の息が漏れた。
「じゃあこれが先生で、」「これが君だね」
約1時間後。店を出て、公園のベンチで各々の手にある香水を交換する。
ボトルまでフルカスタムできる店で、ラベルには俺の名前が印字されている。俺も店員さんとの会話に熱中して、先生がどんなのを選んだのか知らない。
肌はNGなので、袖につけてみる。……いい香り。けど先生、俺を過大評価しすぎでは──
いや、調合したのはあくまで店員さん。先生の知ったこっちゃないか。「俺これ好きです。先生のはどうですか?」照れ隠しに尋ねると、先生の目が一瞬泳ぐ。
「すみません、苦手でした?」
「まさか。そんなことはない、」先生が緩く手を振ると、俺の選んだ香りが漂う。全然似合ってるけど、好みとは違ったか?凛々しい眉を下げ、先生が微笑んだ。「……とても、いい香りだね」
「交換、やめます?俺は先生のやつ好きですし」
自分が嫌いな香りをあえて選んではいないだろう。俺の名前の香水を持ってるなんて変かもだけど、苦手なのを持て余すよりかは……。
珍しく口ごもる先生へ、気にせずにと言おうとした、その時。
「私も、これがいいんだ。本当だよ。だから──」先生が、ふっと、いつもの気品ある笑みを浮かべる。
「君には、渡したくないな。……大切にするよ」





瞳の奥のきらめきに気づくのは僕だけがいい(prli / アン / 女主)
推し活ってお金がかかる。もちろん推し方にもよるけど、やりたいことがあっても、大学生の私には選択肢が限られてた……んだけど!
「ついに──」
小講義室に入ってきたアンの眼前に、私は照れを勢いでごまかしながら両手を突き出す。
「しちゃいましたっ!推しネイル!」
指先で舞う紫色の小さな蝶々。控えめなラメは星たち。日常使いもできるのでってオーダーしたから、わかる人にはわかる、この絶妙なデザイン!
「え〜!?」
大きな瞳をこぼれるくらい見開いて、口を両手で覆って、いつも思うけど、アンって驚き方がすごく可愛いな。
「嘘ヤバい!すっごく可愛いんだけど!どこのサロン!?」
「ねー、可愛いよね、本当……!」興奮するアンに、私もまた喜びを噛み締める。実は、担当してくれたネイリストさんも憧吾担のステラで、会話が盛り上がってとても楽しかったのだ。
この色はMVのここイメージ、このパーツは衣装のこの感じ……なんて、密かなこだわりを長々話したあと、楽しそうに話を聞いてくれるアンに、私は思い切って告白する。
「実はその……アンのネイル、いつもいいなあ可愛いなあって思ってて!それで今回初なのね……!」
さすがに、アンみたいにいつでもってわけにはいかないけど。現場の予定があったし、特別な記念として!
「ほんとっ?そんなこと言ってもらえたら、僕まで嬉しくなっちゃうよ!?」
「なってなって~!勇気もらった!ありがとう!」
「僕は何もしてないよっ。ホントに素敵!すっごく愛を感じるね!」
嬉しいな。SNSに上げるよりも先に、アンに見せたくて。だから予約も、次の日絶対朝一番に会える昨日にしたんだ。アンとこの嬉しさを分かち合えたら、とびきり素敵な思い出になる気がしたから。
──半年後、紆余曲折あって、アンと付き合うことになったんだけど。ふとあのときの話をしたら、「可愛い最高って思ったのはホントだけど、内心、ちょっと妬いてた」って、笑って教えてくれた。





星だけが見ていた(prli / 那由汰 / 女主)
ガキの頃、那由汰の、欠けて割れてボロボロの薄っぺらい爪を見たとき、俺はどうしようもなく悲しかった。
常に栄養失調気味で、おまけに那由汰は身体も弱い。汚ねえ場所で汚れたことして、荒れた手はくすんでた。
「那由汰」
「へ?……おわ」
電柱に衝突寸前だった那由汰の額を、手を差し込んでガードする。
──見ろよ珂波汰。かわいくね?マグネット。
カノジョに塗ってもらったって自慢してた爪。昨日から、那由汰はずっと、暇さえあれば意味なく手を動かしたり、光にかざしてみたり、死ぬほど気を取られてる。
確かに似合ってる。けど俺は、そこまで見惚れちゃいない。
「ったく、ちゃんと前見て歩けな」
ずっと前、ボロボロにしそうだからって塗るのを1回断ってたのを、俺は知ってる。俺の服装にもこだわる那由汰だ、しかも大事なヤツが言ってくれたこと。たかが爪にも、いろんなことを思ったに違いない。でなきゃ今こんなに、夢中になりゃしねえだろ。
「わり。ありがと、珂波汰」
「おう」
懐にも心にも余裕がなく貧しいと、他人から与えられる優しさや愛なんてモンは、置いておく場所がない。大事にしたところで傷つける可能性があるならなおさら、そんなのは、そばになくていい。
「俺、教えてもらおっかな」また視線を奪われかけている那由汰が、ぼそりと呟く。
「何を」
「これ。そんで、珂波汰にも塗ってやんよ。ミラーとか……うん。いいアイディアじゃね?」
夢を見ているような那由汰の瞳が眩しい。「……いーよ、俺は別に」
「なんで?遠慮すんなって!」
「してねえって!」
いや、俺らどうでもいいことで言い争ってんな?思わず笑った。
金で買えねえ価値?そんなの、ゴミ溜めを知らないヤツらがほざく綺麗事。金がなきゃ、実感するチャンスもねえよ。
……だから那由汰。もう、我慢なんてしなくていい、諦めなくていい。誰かに思いっきり、愛されることだって。
那由汰の小さな爪に収まった宇宙が、きらきらって燃えてた。





咄嗟に折り畳み傘を鞄の底に隠した(prli / 四季 / 女主)
リュウくん、まだかな。
通話の切れたスマホは、雨季の湿気に似てどこか重たい。本当は僕、折り畳み傘、持ってるんだけど。
「闇堂くん、見て」
雨粒を弾く軽快な音色を奏でながら、今日日直で一緒だったクラスメイトの子が、昇降口の外で足元を指さしている。濡れたコンクリートにオーロラのビニール傘が、淡い虹色の影を落としていた。
「この間、Paradox Liveに行ってさ」えっ?それは──「私実はBAEのヘッズで!」──そ、そうなんだ。……そう、だよね。
「闇堂くんもやってたんだね、ラップ!」
馬鹿げた希望といつもの卑下が、返事を押し上げたり引っ張ったりして、喉でつかえてる。何も返さない僕のこと、きっと変だと思ってる。諦めの溜息を他人の口から聞く前に、僕は自ら吐き出す。
「ねね。これとか見たら、どんなリリックが思い浮かぶの?」
「えっ」
けれど、構わず話し続ける彼女に、思わず声が漏れる。
「私語彙力ないし、綺麗かかわいいしか思いつかなくて。でも闇堂くんなら、もっと繊細ですごい表現しそう」
傘越しの雨空を嬉しそうに仰ぐ顔。まるで恵みの雨に打たれて喜ぶ植物のよう。
そんなことないよ。そのひと言が出ない。影に隠れる名もなき僕の声に耳を傾けてくれたこと、期待されてること。その事実が、悲嘆に沈んだ僕の心を浮上させて、声帯を圧し潰す。
でも、ごめん。僕は君が言うほど、そんなにすごい人間じゃないよ。影を見ても、何も思いつかなかったんだ。
……それに、影よりも。僕は今、君を。溢れる感情に形容が追いつかないあの感覚が、僕を埋め尽くしていく。
「ビビビビビ。しっきー発見!リュウくん定刻通りにとうちゃーく!」
「わ!びっくりしたっ!……なんだ、迎えに来る友達って、TCWの人だったのか~」
じゃあ私はこれで。また明日。
君が僕から遠ざかっていく。……挨拶すら踏み出せなかった。そこでようやく、僕の目に、躍るオーロラの影が、君の化身みたいに見えた。





熱に酔わせて(prli / 匋平 / 女主)
はよ帰ったってな。
日を跨いで帰宅した私のスマホには、依織くんから届いた昨晩のメッセージが残っている。
「通りもん買ってきたよ」
「……らねー」
ガ、ガキ……。
私のベッドにうつ伏せになった匋平。本日の主役。
「わかった、ごめんて。今日はなんでも言うこと聞いてあげるから」
ベッドに腰掛け、髪を撫でる。返事ナシ。酔っぱらって動けないのか、はたまた拗ねているのか。どちらにせよ、顔が見えないと判別できない。若干寂しくなりつつ、匋平の耳にかかった髪をかける。
不意に爪がピアスに当たった。かち、という音が指先に響いたそのとき、反射的に手が止まった。
数秒置いて──今度はわざと、匋平の耳に触ってみる。掠れた呻き、詰めた息。……さっきと、同じ。
横たわった体へ、恐る恐る身を乗り出す。衣擦れの音がやけに耳についた。
匋平がシーツを握りしめた拍子、浮き出た手の甲の血管を優しくなぞってみる。小さく悶えて丸まる大きな体。は、と吐き出された短い息に、どことなく背徳感を覚えるも、余計に、触れたくなる。
首筋、肩甲骨、脇腹。ぬくまった腕時計を匋平から外して、手首についた凹凸を唇で確かめていると、前髪の隙間から覗く視線に気づく。前髪を上げるべく指を通すと、根元が、寝具で蒸されたにしては酷く汗ばんでいた。
濡れて霞んだ琥珀色の瞳が、ゆら、と揺れる。されるがままだった匋平が、にぶい動作で体を反転させ、私の腕を力なく引く。
匋平のおなかを膝で跨いで、鎖骨のあたり、シャツの隙間に、手のひらを滑らせてみる。鼓動が、重いネックレスを揺らしそうなほど激しい。
酔っても顔に出ないタイプだと、その顔の理由が、消去法でわかってしまうな。真っ赤な頬を撫でて、そのまま、顔を近づける。
「……寂しいの、自分だけだと思った?」唇と唇が触れる寸前で止まり、頬をやわくつねって尋ねる。細い眉が寄って、結局返事はない。けれど私には、何もかもが素直に見えてしまうのだった。





その一歩が踏み出せない(prli / 珂波汰 / 女主)
「珂波汰、元気ない?」
UFOキャッチャーの透明なパネルを見つめ、彼女は恋人にそう問いかける。隣の珂波汰は、別に、と歯切れが悪い。それが答えのようなもので、気まずい沈黙が漂った。
いつも通り、服装か何かの話の流れで、彼女が那由汰を褒めただけ。なのに、今日はそれがやけに尾を引く。
付き合う前はうるさいほどだった、彼女のあけすけな愛の言葉は、那由汰の話題にシフトを続け、いつの間にか聞こえなくなって久しい。
弟を褒められ、気分が悪いわけがない。付き合ったのだって、正直、断るのもダルくなって流されたのが理由だ。
でも今頃になって、自分を前にしても弟の名前を持ち出す彼女に、ふと、何かにつまづいた感じがあった。
一個ひっかかると、いろいろなことが気になった。自分たちは双子で似た顔立ちだとか、那由汰のほうが人付き合いはよくて、多少愛想もあるだとか。何より那由汰は、自慢の弟で。
じゃあ俺といる理由。なくね?
そう思ったが最後、突き落とされるがごとく自覚した恋心は、とにかくかったるい。
「本当に?何かあったら言ってよ」
念押しする彼女は、なぜか珂波汰のほうを見ようとはしない。強張った表情は、どこか泣きだしそうにも見えた。
──ホントは俺のことを、どう思ってる?
恋人にも関わらず、彼女の横顔を、珂波汰は初めてじっくり見た気がした。以前なら聞かずともわかった答えが、今は遠く霞み、追いかけるのも少し恐い。珂波汰が思ったより彼女を好きだったのなら、その逆だってありえる。
「どれがいんだよ」
「うーん。あの子かな」
彼女がカービィのぬいぐるみを指さす。意欲に欠けた指の動き。どうとでも取れる仕草が悪い意味に傾いて見える。
珂波汰はボタンに指を置く。聞きたいのは、そんなことじゃなかった。
「……」
「……」
集中なんて到底できないのに、散々曖昧にした関係は、長い無言を生む。
ピンクのふわふわした球体が、アームから外れて、穴の外へぽてんと落ちた。





きみの温度(prli / 那由汰 / 女主)
最近って秋がない。
出かける直前服を重ねた。1枚2枚、3枚。仕上げに、クリーニングから戻ってきた冬物のコート。
「那由汰さ。寒くない?」
鼻に頬に耳。色が白いと赤い部分が目立つ。薄目の那由汰は、まるで冬山で遭難中みたいだ。寝たら死ぬよ。
夏には暑そうで、冬には寒そう。街には、そんな那由汰と似た状況の人がちらほら。急に冷え込んで準備してなかったのかなと、身震いした那由汰に、私は慌ててコートを脱いだ。輝くシルバーアクセサリーも、今日はキーンと冷たそうだ。
「私の貸すし、着てなよ」
今日もすごく素敵だけど、おしゃれは我慢の限度を越えている。ただでさえ、普段から足が寒そうなのに。
「ヤだよンなダッセェの!」
「……」
「…………ごめん。俺の趣味じゃねぇからヤだ」
「よし」
うん、全然よしではないけど。
「お店入ってあったまったら、また脱げばいいよ」
今日のカフェまでは少し歩くし、動けばそのうち体も温まるだろう。
けれど、那由汰はますます不機嫌になる。薄手のアウターのポケットに手を突っ込み、出そうともしない。
「──つも、」
「ん?」
「……いつも!会ったらかっけえとか、おしゃれーっつってくれんのに!ないじゃん!」
「えっ」
「んだよ。せっかく今日のために、」
買ったのに。
震えた声も潤んだ瞳も、寒いから、だけではないだろう。那由汰が投げやりに片手を突き出す。「もういい、着る。貸して」指先は真っ赤だった。途端に、胸がきゅーっと締め付けられる。
「やっぱ早く行こ」
コートを受け取った那由汰が、鼻をすすって私を睨む。それすらかわいらしくて、愛おしくて。
「それでさ。コート脱いで、今日のお洋服よく見せて!私感想、いっぱいあるからね」
冷えた手を握ると、コートにくるまりすくんだ那由汰が、「寒くねぇの」とふてくされつつも確認してくれる。
「私はね、暑すぎた。ちょっと脱ぎたいくらいだったから、ちょうどよかったよ」
ほてった頬に、北風が心地よかった。





フラフラふられたふりをする(prli / 依織 / 女主)
「わあ……綺麗」
彼女の口から出る『綺麗』は、ひらがなの『きれい』だ。純粋で柔らかく、ぬくもりがある。
旦那の店で、店員の彼女と最初に話したとき、もっと一緒にいたいと俺に思わせたのは、そういう部分なのだ。
「どや、気に入ったー?」
「すごく!でもこれ、絶対高かったですよね?」
旦那がグラスのふちをレモンで濡らしながら、彼女の持つクープグラスを盗み見る。
シンプルだが、特徴的なステムのくびれが美しい。いわゆるアンティークで、安い買い物というわけではなかったが、彼女のうっとりした溜息は金で買えない価値がある。
「かまへんかまへん!俺な、絶対気に入ると思っててん」
「ありがとうございます。本当に綺麗……次にギムレットをお出しするときは、このグラスで出しますね」
「ほんま?ええのん?」
「はい。そのあとは、私の家にお迎えしちゃいますけど……へへっ。でも、最初は絶対、依織さんのギムレットに使いましょう!それまで磨いておきます」
(やばあ、嬉しい)
見返りを期待するほどセコくはないが、そう言われて嬉しくないわけ──
「でも、あんまり無理しなくていいですから。私は後回しでいいので!」
緩みかけた顔がピキッと引きつる。
無理?後回し?……ということは何か?「……あんなぁ?俺が誰んでもこーゆーこと、しそうに見えるかー?」
彼女が無邪気に笑う。
「はいっ!依織さんは気前がよくて、人をぱーっと楽しませたり驚かせたりするのがお好きで、そのためならびっくりするくらい大盤振る舞いするイメージです!」
ようわかっとるやないの。遠回しな口説き文句が、なぜか誉め言葉で弾き返される。ありえへん。てか、ポジティブ変換うますぎひん?旦那が噴き出しむせている。笑うなよ!
「割れたら嫌なので、ちょっとしまってきます!」と、彼女が俺の前から消える。意気消沈でカウンターに突っ伏す俺の頭上から、「だっせ。フラれてやんの」と旦那が鼻で笑ったのが聞こえた。笑うな。





寝顔になら教えてあげる(prli / 依織 / 女主)
ベッドで丸まる恋人の寝顔を見下ろし、立て膝に頬杖をついた依織は、いつもの不敵さも豪快さも妖しさもない、緩んだ微笑みを零す。
(ほんま、かいらしなあ)
平穏な寝息。何時間だって見ていられる、何気ない幸せ。
だから本当に、手許に戻ってきてよかった。
若い時分であれば、どんな手を使ってでも奪い返しただろうか。いやそれより、手放すことさえ許さなかったか。
別れを切り出されたとき、一途で憐れな男として、しばし時間稼ぎをしておいてよかった。一途も憐れもまるきり嘘ではないけれど、それが翠石依織という男のすべてではない。
そもそも別れた理由からして、依織にはなんの落ち度もないと、ほかならぬ彼女が言ったのだ。
詰めが甘い。そんな手の内、見せなけりゃよかったのに。依織には、彼女の心が手に取るようにわかった。短期間に、彼女の心へできるだけ種を撒いておいた。心が離れたわけではないなら、いくらでも手ぐすねを引けた。おかげで彼女は、別の男と付き合っても過去を振り返ってばかりだったというのだから、そんなにうまい話があったのかとおかしくて笑いが出る。
遠回りしてくれて、むしろ感謝したいくらいだ。罪悪感は、時に人をきつく縛ると依織は知っている。彼女のような、深く考え過ぎる人間には特に効く。多少の別れなんて、最終的に雁字搦めとなる道程なのだ。
一時間前、身勝手な自分を許してほしいと彼女に泣いて謝罪されたとき、依織は結末をはなから知っていたくせに、俺がふがいなかったのだ、やり直す機会をありがとう、などといった具合の赦しをしおらしく吐いた。
指の背で、涙痕がついた頬を撫で、(俺も寝よかな!)と、依織はネコ科を連想させるご機嫌な笑みで寝転がる。なーんも悪ないで、ほんまに。彼女をぎゅっと抱きしめ、よしよし頭を撫でてやった。
一生大事にすると誓った気持ちに、一点の曇りもない。ただ、美しく磨かれたために、足元に無数の屑が散らばっているだけだ。





無垢で凶暴(prli / 西門 / 男主)
「~ッだから!俺たちもう終わったじゃん!」
こんな台詞、言いたくないんだけど!?
せっかくのデート前に、街で偶然、気性が荒い元恋人に捕まってしまうとは。
ガーッと言われると言葉に詰まる自分が嫌になる。浮気したのはそっちだろとか、言い返したいことは山ほどあるのに。絞りだした反論も言葉選びを間違えてしまい、人混みの視線で余計喉がつかえる。
「私の連れに、何か用かな」
振り返ると、待ち合わせ相手の彼が、いつの間にか俺の背後に立っている。
「せんせ、」白い息を吐き出し、彼は俺をじっと見つめてくる。「……直明さん」微笑まれた。
「誰あんた?」
ほっと胸を撫でおろす。情けない話だが、彼なら穏便に説得してくれるかもと淡い期待を抱く。
「私が誰であれ、」彼が俺の両肩に手を置く。「彼が困っているのに、それを察することもできず、一方的に言い募るというのなら……君は彼の友人にすら、ふさわしくないと思うよ」
──が、降ってきた声に動揺する。
(めっちゃ言うね!?嘘でしょ!?)
急に不安になって見上げた顔は、余裕のある微笑を湛えている。嘲笑している風でもない。しかし、暗闇にも輝く瞳は、今はどこか鋭さを秘めている。
当然激昂する相手に俺がビビるも、彼は怯むことなく論破していく。いや、そんな生易しいものではない。物腰柔らかく、緻密で丁寧な物言いなのに、端々に挑発の意図を感じる。
どんどんヒートアップする口論。あまりの激しさに引く俺。人間って、拳なしでも殴り合いできるんだ……。
完膚なきまでに言い負かされた相手が、何か叫びかけた瞬間、大きな両手が俺の耳を覆った。指の冷たさに驚き、雑音もあって、何を言われたのか聞き取れなかった。
怒り心頭で去る背中に、俺は恐る恐る両手を離し、彼を見上げる。
「すいません、今なんて……」
鎮静剤に似た笑みだった。彼は、さっきの舌戦が夢だったような顔で、俺の頬を親指で優しく撫でた。
「君の聞くに値しない言葉だった」





君の視線で焼き付いた(prli / 犬飼 / 女主)
「すみません」
えっ。
「実は私、ステージに立っているときの記憶がなくて」
……ええっ。
皆さん気合十分なので!と、珍しく熱の入った様子で語るご近所さんのよしみで観に行った、Paradox Live敗者復活戦。
乱暴な言葉づかいは、普段の彼からはかけ離れていて。間違えれば減点ポイントになりそうな一面も、私の心臓を飛び出しそうなほど痛くさせた。狂暴な色気を孕んだ瞳に見つかり、軽く鼻で笑われて──頭をガツンと横殴りされたような衝撃で、あの日私は、あっけなく恋に落ちた。
「そ、そうなんですね」
会ったらなんて言おうか悩んでいた。何を言っても下心みたいで、結局、第一声で目が合ったか確認したのに。
顔にじわじわと熱がのぼってくる。浮かれていた自分がたまらなく恥ずかしい。
気まずさで次の言葉が出なかったが、彼の困ったような雰囲気を察し慌てる。
「あのでもっ、皆さんの勝つぞー!って熱がすごくて、これ絶対勝てる~!って興奮しました!」
「本当ですか?ありがとうございます。……」
微笑む顔は、まだどこか曇ったまま。恋したのは数日前でも、それ以前から彼は仲のいいご近所さんであって、そんな顔はしてほしくない。
決して、曲が響かなかったわけじゃない。むしろ私の人生に、新たな歴史が刻まれた気分だった。記憶がないならと、彼が一番聞きたかっただろうチームの人たちについても感想を述べる。きっと喜んでくれるはずだ。ラップに詳しくなくて素人の浅い感想になってしまうのだけが申し訳ない。
「あのお……」
「はい?」
私の言葉を遮り、目を伏せた彼は、人差し指で頬を掻いている。
「私、皆さんの成果を見てほしかったんです。……本当なんですよ?」
「はい」
彼が私を、上目遣いにじっと見る。あのときの面影はなくても、心臓は小さく跳ねる。
「でも私、今土佐くんたちのことを……」
根負けしたように、視線がためらいがちに横へ逸れた。
「少し……ずるいと思ってしまいました」





「好き」の意図(prli / 甘太郎 / 女主)
♡がいっぱい。この世界は「好き」で溢れてる。
ほらまた君は、何かに「好き」って言ってる。誰かのファッションセンス?芸能人夫婦ののろけ話?おいしそうなご飯?流行りの曲?胸キュン漫画の1ページ?おっきくても小さくても、君の場合は本気なのが、余計やんなっちゃうよ。
君が僕に送る、140字以下の「好き」。僕たちが何かを終えたあとはめいっぱいの「好き」「好き」「好き」。でもまだ全然足りないや。皆から愛されたいって本気で思ってる僕は、君に本気で愛されたい。君のいいね欄に並ぶの、僕だけでいいでしょ?
もし僕が秘密で、君だけに♡を送ったら、君は僕だけを見てくれる?僕だけに、君の大事な「好き」をくれる?……なんてね。たくさん妄想したけど、本当はそうしちゃいたいけど、それは絶対しないから。僕にできるのは、君が「好き」って言い続けてくれるように、一生懸命がんばることだけ。君の好きな僕でい続けることだけ。だってさ、君に嫌われちゃったら、元も子もないんだもん。僕は君がすっごく好きなのに、言えないのつらすぎる~!
本当は恐い。君が僕にくれる「好き」が、いつかほかのいろんな「好き」に埋もれて、消えちゃうこと。僕よりキラキラした誰かが、君の「好き」の特等席を奪っちゃうこと。君の見てる世界が、僕にも見えたらいいのに。君が静かなときは、何してるのかなって思って、嫌な想像して不安になっちゃう。
僕は君を想ってる。けど君はそんなの知らないし、ショート動画でニコニコの僕をスワイプして、今夜も世界中に散らばった♡を集める旅に出ちゃう。また夜更かししてるの?僕も一緒。寝れないよ~。なら僕とお話しようよ。
朝になったら、また君が♡をくれないかなって内心期待して、ハッシュタグつきの誰にも解読不可能な暗号を作る。君はこんな僕の心の声なんて聞こえてないから、特別に読み方を教えてあげちゃう。たった4文字なんだけど、「君が好き」って読むんだ。





はなさないで(prli / 依織 / 女主)
「ひとりがええんなら、俺はいつでも手放せるで」
ピーヒョロロと、頭上高く、トンビの鳴き声が響く。
「え」
「なんや、おかしい?」
打ち寄せる波の音に飲み込まれぬよう、彼は私を見つめる。痛いほどまっすぐなまなざしに、砂浜へ足を取られたふりをして、私は視線を逸らす。「そういうことを、言うタイプだと思ってなく」
「じゃーあ、どういうこと言いそお?」
「……すみません、この話ナシで」
「あー、ナシはナシな!」
思わず、繋いだ左手に力がこもる。「……俺は絶対手放さんで、とか」あーあ。
「ほー?想像の俺も、なかなかカッコええやん。てかぁ、ずいぶん愛されとる自覚があるんやなっ」
にやけた彼が、私の頬をつつく。潮風に混じり、指先に染みついた煙管の匂いがした。
「何笑ってんですか。聞いたの依織さんでしょ。もういいですか」
「俺の愛はなー、想像よりもーっと深くてデッカいで」
「わかってます」
「ほんまにぃ?」
「……わかってます」
彼は本当にわかっている。どんなに私を愛そうが、最後にすべてを決めるのは私で、それは止められないという現実を。
突き放した、諦めた、いらなくなった──私にはそう聞こえない、不思議な愛の言葉。混じりけのない愛というものは、彼さえも除かれ透徹で綺麗すぎるから、少し物寂しいらしいと知る。
悲鳴が聞こえ、見ればトンビが何かをくわえて飛んでゆく。遠ざかる翼に、おうおうと、彼が空を仰いで笑った。
私の視線に気づき、彼は繋いだ手を揺らす。
「な。俺のこと好き?」
この海が何万回と聞かされただろう陳腐な台詞も、私には、白く輝きまばゆい。
「そ、れは、……そうですが」
「なはは!じゃあええわ、それで」
「いいんですか」
「おう」
獲られるかもとピアスを外して、まっさらになった彼の耳たぶ。「せめて幸せだけは、祈らせてな」。呟く姿は何でもなくて、どこかちっぽけだ。私たちは歩き続ける。海も空も果てしなく続いていて、私たちは、どこまでも自由で。





誘蝶花(prli / 西門 / 男主)
「お客さん大丈夫?水飲めます?」
ゲロである。俺がデザートを提供しにきた瞬間、団体客の学生が、盛大に卓上へとぶちまけた。
幸いにも、コースはL.O.も終わって残り15分ほどだった。同じ学生として同情もしたし、大丈夫ですよと慰めつつ、俺は後処理をした。
店先で、生徒さんと残った先生が、「どうもありがとう」と俺からミネラルウォーターを受け取る。水を飲んだ生徒さんが、トイレ、と立ち上がり、店内に逆戻りした。
「袋もらったんで、よかったらその服入れてください」
彼は吐瀉物で汚れたベストを脱いで丸め、ずっと生徒さんを労わっていた。ジャケットまで貸して、見るからに寒そうだったが、心配する笑みはそのまま。ペットボトルの栓を開けて渡す甲斐甲斐しさに、常習犯?と一瞬邪推したが、目が合ってそれはないかと思い直した。恐らく、面倒見がいいだけだろう。
「申し訳ない。私の生徒が」
「いえ。どうせもう上がりだったんで、そんな気にしなくていっすよ」
掃き溜めに鶴とでもいうのか、この先生と俺の日常世界が、いまいち接続しない。安居酒屋もコンビニのレジ袋も、不似合いな彼に謝られると、なんだか逆に気が引けた。
「お詫びと言ってはなんだが……お酒は好きかな」
「酒?まあ、普通くらいには」
「なら、ぜひここへ。よければご馳走するよ」
渡されたのは、シンプルなデザインのショップカードだった。Bar 4/7。……こういう人って、やっぱ贔屓の店みたいなのがあるんだと、妙に感心する。そうこうしていると、生徒さんが帰ってきた。平身低頭で謝られて、彼に目で助けを求めると、「店員さんが困ってしまうよ」と、途中でやんわり止めてくれた。
──それでは、お待ちしています。
去り際、彼は俺を見てそう言い、ふっと微笑んだ。
カードをスマホケースに挟もうとして、ふと出来心で、鼻に近づけてみる。落ち着いているが少し重たく、それでいて華やいだ香りが、ほのかに鼻腔へ広がった。





天使の梯子に触れた(prli / 匋平 / 女主)
まだ7時くらいかと、高を括ってスマホで時間を確認すると、10時半を過ぎていた。マジか。
ブルーライトが目に染みた。縦長の残像が焼き付いた瞼を再び閉じて、隣をまさぐる。いねえ。
まあ、待ってりゃ戻ってくんだろ……。手を伸ばした状態でまどろんでいると、玄関の扉の開く音がした。戻ってこねぇなと思ったら外か。
リビングの扉をそっと開き、足を慎重に床へつける気配がして、起き上がらずに「起きてる」と宣言する。
「あっ、起きた?おはよ。もうちょい寝ててもいいよ」
「はよ。いや……」
否定するも舌が回らず。あいつの足音がぺたぺた近寄ってくる。
「パン屋さんでパン買ってきたけど、今食べる?焼きたて」
「……食う」
強い眠気に、わずかな空腹感を覚える。返事したから起きるかと、ぬくいベッドから身を起こす。目が開かず、思わずデカいあくびが出た。
どうにか歩いて顔を洗い、テーブルにつくと「コーヒー入れるけど飲む?」と聞かれる。おう、と返す声に覇気がなくて、自分でも笑っちまうし、その笑いも、なんか寝ぼけてて形無しで笑えた。
冬だからか、暖房かけても布団を出るとほのかに肌寒い気がする。スウェットの袖を指先に伸ばし、温かいコーヒーを待って少し縮こまる。
「どれがいい?」
「お前好きなの選べよ」
「えー、迷う。じゃあこれにしよっかな」
そんなやり取りをしているうち、ようやく眠気が覚めてきた。カーテンは閉められたまま。たぶん俺が寝てたから、そのままにしてったんだろうな。部屋の中は薄暗いが、ここはいつも春のような穏やかな空気に満ちていて安心する。
「うめぇ」
「ね」
昨晩メシを食いながら、日付を越えてもたくさん話しちまって、もう話の種はない。テレビもつけず、音楽もなく、お互い無言でパンを味わっていた。咀嚼しながら、影の色がペールブルーをしている、心地よい静寂に浸る。チチ、と雀のさえずりが聞こえる。外の光が、淡い色のカーテンにぼんやりと滲んでいた。





言葉を置き去りに(prli / 西門 / 男主)
あと2日もすれば仕事納めだってのに、今年が終わりそうもない騒ぎっぷりを見かねて、俺は間に入る。
「何盛り上がってんだよ、教授」
「匋平くん」
「ちわ」
俺に手を振るのは、ひと足先に今日で仕事納めだった、西門の大学時代の友人の男。顔が赤いのはモヒートに酔ったからじゃなく、笑いすぎたからだな。半笑いで「なあ聞いて」と指をさした先で、西門が耳を真っ赤にして、顔を片手で覆っている。
「俺曲褒めたのにさ、西門がなぜかめっちゃ照れんじゃんか。なんか俺まで照れるわ」
「あれは褒めていたのか?私が、そんなことを言うなんて、とかなんとか……」
「いや褒めだけど!?俺の知らん西門すぎる!」
「あ?どの曲だよ」
「これ」
見せられたスマホ画面には、西門のSNS。クリスマスにあやかってTCWの曲を紹介した呟き。『My Sweetest Love』……確かに、いつもと違う趣向の曲だけどよ。
「別にそんな照れんでも。スゲーおしゃれで素敵な曲じゃん!なんかな、俺もドキドキした~!」
月に1、2回くらい、西門へ会いに店に来るから、この人の性格は俺も知ってる。他人をおちょくるタイプじゃない。多分今みたいに、ストレートに褒めたかなんかで、西門が勝手に照れてるだけだ、気色悪ぃ。
「昔からの知り合いに聞かれるのは、またわけが違うじゃないか」「急に大人の男感出すじゃん。俺、未だに25くらいで精神年齢止まってるわ。えっ恐、これ俺だけ?」「ふふ……」「え、その笑い何!?」
話題が脱線し、再び盛り上がり始める。ふたりのペースで内輪話ばっかすっから、何言ってんだかさっぱりわかりゃしねえ。おふたりさん、俺を忘れてねえか。
ま、いくつになっても会えて、会えばガキみてえにはしゃげるダチってのは貴重だよな。西門みたいな男でさえ、ダチと顔を合わせりゃ、こうして楽しくやってんだ。ああやって年取るなら、それも悪かねぇ。……年明けたら、依織誘って、俺も飲みに行くかな。





透けない心(prli / 珂波汰 / 女主)
信用ってのは贅沢品だ。明日生きるか死ぬかの底辺にいる人間に、目の前の相手を信じるか信じないか、判断してる暇はない。
「その……先程、お連れ様が払われていきましたが」
「は?」
俺の声に、店員の女が縮こまる。「あのっ、……余計なお節介、です、けど、」やけに目を潤ませて俯く。「ご飯のときは、ご兄弟で楽しく過ごしたほうがいいんじゃ──」
「なんだよお前」
このへんに住みだしてから、那由汰がこの店を気に入って通ってるけど、俺はこいつが嫌いだった。いつもヘラヘラしやがって。言わなきゃよかったって顔して口ごもって、被害者ぶってる今の素振りも気に食わねえ。カウンターに、ぼたぼたと大粒の涙が落ちた。泣くくらいなら黙ってろ。
俺らのこと、何も知らねえくせに。店を出て軽く走れば、のんびり歩く背中がすぐ見つかる。ほっとして、「那由汰」と声をかけたのに、那由汰は俺を見ない。
「那由汰?」
「俺先帰る」
「なんでだよ?せっかくヤベェ曲できたのに、」「知らね。珂波汰の勝手にすればいーじゃん?俺も勝手にするし」
ふと、さっきの店員の、ボソボソ喋ってるくせに説教臭い態度を思い出してイラついた。
けど今は、とにかく那由汰に、一番に曲を聞かせたくて。
「……、悪ぃ」
「何が」
那由汰は立ち止まらない。
「~ッメシのとき!那由汰ほっといてごめん!」
ようやく俺を見た那由汰の目は冷たい。
クソ、あいつの言うことなんざ聞いたところで──そう思いかけたとき、那由汰はちょっと視線をそらして、「ま、許してやっかな」なんて軽く言う。
「……那由汰ぁ」脱力して隣に並ぶと、那由汰がしたり顔で軽く笑った。
「珂波汰。あの人に、なんか言われた?」
「あの人ォ?」
「ほら、いつもあの店にいる女の店員」
「飴。くれた」那由汰が、ピンク色の小さな袋を上機嫌に揺らす。袋はふたつ。ぽいっと投げられたそれを反射的にキャッチして、俺は今更、あいつを泣かせたことが、少し嫌になってしまった。





慈雨(prli / 西門 / 男主)
じいちゃんが死んじゃったらどうしよう。
そう言って、陽だまりに泣きじゃくる君を見ていた。
妻が存命の頃、散歩中、しばしば話題にする場所があった。椿の生垣が美しい家だ。この少年は、その家に住む男性の孫だった。現在は浪人生で、受験のために祖父宅へ身を寄せている。最初は息子と勘違いした、大人びた容姿からは想像できない幼さに、君の実年齢を思い知る。
妻亡きあと、しばらくは遠回りをしていたが、ふとある年に立ち寄ったとき、君の祖父が椿の蕾を私にくれた。店のピアノに飾り、開きゆく花びらに、妻との日々を、ゆるやかに広がる痛みを、そして忘れていた愛を。私は思い出していた。
あれから数年。入院した祖父に代わり、孫の君が私の前に現れた。椿をくれた君は、生垣越しに私たちの会話をよく聞いていたと、我が事のように幸せな顔で語った。奥さんはお元気ですかと聞かれて、病気で亡くなりました、とだけ返した。気まずい初対面だったが、椿をきっかけに、私たちは少しずつ親しくなった。
そばにいてください。寒々しい縁側に膝を抱えた君が、私の袖を引く。祖父の手術を明日に控え、病院で家族と話してきたらしい。親たちは冷たい、酷いと怒っていたけれど、きっと彼らは君を案じて、冷静でいようとしたんだろうね。隣に座り、丸まった背中を撫でながら、絶対に助かるよと声をかけた。愛する人には、どんな姿でもいいから生きていてほしい。当たり前にそう祈る君には、それが望む言葉だろう。
身近な存在へと近づく死に、ある種のエゴイズムすら滲む言動を、身勝手と断罪するような真似はしない。君は痛ましくも、ただただ眩しい。私がもはや過去に置いてきてしまったものが、君にはある。境界線を越えたこちら側へ、君がやってこないことにも安心する。風に揺られ、椿がぽつぽつと落ちた。それでも、もし君が輝きを失い、大切なことを忘れてしまったときにも。私は、思い出せるまで寄り添っているから。





淡い心証(prli / イツキ / 男主)
「それとこれ、交換しません?」
俺が口を開く前に、ロクタが「いいのお!?」と彼に迫る。遠くからハンドベルの音が聞こえた。
商店街の歳末福引。残った景品と福引の様子を観察し、当選確率を求め、1等の高級牛2万円分カタログギフト、もしくは2等の商品券1万円分を引く可能性が高かったことから、俺とロクタは列に並んだ。だが、あと少しのところで、俺たちの前にいたこの少年が1等を引き、俺たちは参加賞3つで終わった。
彼のことは知っていた。よく道ですれ違う。ブレザー姿や行動パターンから察するに、近辺に住む高校生だと思われる。今日初めて声を聞いた。
「すまないが辞退する。そちら側の損失が大きい」
彼は交換と言ったが、俺たちが獲得したのはポケットティッシュ3つであり、1等と同等の価値を持つとは言い難い。親切とも違う予感がして、俺は彼を警戒した。
「え~!?」
「ロクタ」
「うーん。俺は損じゃないけど」
隣には激しく主張するロクタもいるが、俺しか映っていない瞳が、やはり先ほどから不可解だ。幻影ライブでヘッズから向けられる視線とも違い、少々気味が悪い。
「何?」
「俺、君に話しかけたかったんだよね」
一度見たものは忘れないとはいえ、話しかけられる数分前まで、彼の印象は薄かった。しかし、微笑する彼は違ったらしい。だが、累計しても10分程度の関わりに、こちらは心当たりなどひとつもない。
「なら、もういっこ交換条件。よければ俺と、友達になってください」
意味がわからない。友達になることが、2万円分に相応する行為なのか不明だ。そもそも友人関係とは、一般的に、値打ちをつけられるものではないはずだ。
「うんいいよー!いいよねっ、イツキ兄!」
俺の代わりにロクタが返事をする。ロクタはもうカタログしか見えていないようだ。「じゃ、そういうことで。連絡先交換しよ」すでに親し気な彼とは裏腹に、俺の不信感は募るばかりだった。彼は一体、何が目的なのか……。





メロウキス(prli / 四季 / 男主)
クラスメイトの闇堂四季の歌を最初に聞いたのは、友達に誘われて行ったParadox Liveで。あの闇堂がラップ?って笑ってたけど、聞いたら、あーなるほどって感じ。人前に出てるのは意外だったけど、歌の内容とかは普段教室で見る姿とそう変わんなかった。俺は対戦相手の悪漢奴等のほうが好みだったし、全体ならBAEとかのが好き。友達ほど熱狂はしなかったけど。
闇堂には、それきっかけで少し話しかけてみただけで、そのあとすごく親しくなったってわけでもない。だから、今になって闇堂本人から誘われるとは思ってもみなかった。対戦相手は1Nm8。なんで俺?って思ったけど、前に見たときのイメージが残ってて、軽い気持ちで行くって言った。
……なのに、俺が今見てるこいつ。誰?
闇堂が口を開くたび、割れんばかりの悲鳴が聞こえた。なのに闇堂は、そんなの聞こえてないみたいに落ち着いていて、なんなら、煽るような不敵な無表情で。人波に揉まれて、鼓動はピアノの音より不規則かつせっかちに乱れる。宙に浮遊するメロディをなぞる闇堂の指先が、催眠術のごとく俺の視線を絡め取る。いつもおどおどしてて、バリアを張って他人と距離を置いてるくせに、闇堂のウィスパーボイスは服と肌の隙間に滑り込んで、心臓を直にくすぐってくる。
(──あ)
自分のパートを歌い終わり、影に落ちかけた闇堂の視線が、俺を拾った。凪いだ瞳に射抜かれながら、闇に、闇堂の唇が、ゆるやかな弧を描いたのが見えた。
それから闇堂は、一切俺を見なかった。……卑怯だろって思った。心臓がずきずき痛かった。こんなの絶対勝ちだ。誰がどう思おうが、闇堂はステージの中心で、誰よりも目立つ強いスポットライトを浴びていた。それがなんか悔しくて、目をそらしても、声の余韻がまとわりついてくる。闇堂の声も表情も、全部が焼き付いて熱い。
あークソ。あんな顔されて、俺は明日から、どんな顔してお前に会えばいいんだよ。





蕾のブーケにリボン掛け(prli / アレン / 女主)
かっちりした服装は苦手だ。前に黒服やった時も、服に着られてる感じが嫌だった。けど。
(かっこいい。なんか俺、大人っぽいかも)
RtL、FINALの結果発表直前。武雷管に招待されたパーティーで、俺はらしくもなく、確認用の全身鏡に目が釘付けだった。
──写真とかないの?
アンの紹介とはいえ、キャバクラでバイトはと一応報告したら、彼女は、俺の黒服姿が見たいって言ってたっけ。あのときは、そんな恥ずかしいこと無理だって拒否った。でも、これなら……。
「あれ?アレン自撮り!?めっずらし~」
アンの声に驚いて、親指がうっかりシャッターを押す。
「いやっその、これは」
「何?……あ」アンがにやりと笑う。「アレン~?カノジョに、自撮り送ろうとしてたでしょ!」
「なんでわかんだよ!?」
「アレンが奇行に走ってる時は、HIPHOP絡みかー、カノジョ絡みのときって決まってんじゃん!てか、自撮り送るとか。ヤダ~!エッチ!」
「エッ、」
つか、奇行って何だ?絶句する俺から、アンがスマホを取り上げた。
「自撮りじゃ、せっかくの衣装が見えないよ。貸してっ、僕がアレンを、世界一かっこよく撮ってあげる!」
「悪ぃ、サンキュ」
アンから離れて適当に立つ。「そこ暗い。三歩右行って。そう」アンの前髪は上がっていて、細い眉が吊り上がったのが見えた。
「ちゃんとポーズ取って」
「ポーズ?こうか?」
「違う。もっとビシッと」
「えぇ?うーん。こうか?」
「表情はセクシーに!」
「セッ、アン!お前さっきから、」
「ちっがーう!!c'mon夏準!」
「な、なんだよ夏準」
夏準が俺に近づき、硬直した手足や顔の向きを無理やり動かして調整する。
そうして俺は、ふたりに駄目だしを食らいまくり、慣れないキツい体勢を取り、死ぬほど疲れた末に写真を送った。でも、本番撮影はいつもより早く終わったし、パーティーのあと、興奮気味の彼女から電話がかかってきたから、結果オーライなのかな。はは……。





ビートは乱れっぱなし(prli / アレン / 女主)
「うわっ、マジでSUZAKUだ!」
Paradox Liveに出た影響はやっぱりデカい。普段俺たちの音楽を聞かないだろうタイプの人でも、こんな風に俺の名前を知ってる。大学では、誰かに話しかけに行っては失敗ばかりだった俺に、前のめりに話しかけてくれて、何より、HIPHOPに興味を持ってくれたのが嬉しい。
一方で、俺はここに連れてきてくれた友達と話したかったけど、名前が伝播して人が増えてしまい、それは難しそうだった。人混みの隙間から覗いたら、彼女は別の友達に話しかけられているところで、口を大きく開けて笑った顔に、心がざわついた。
どんな相手でも話題でも、彼女ならきっと楽しい時間を作れると思う。俺も、アンみたいにおしゃべりだったらよかったんだけど。夏準みたいな愛想も振りまけなくてからっきしダメ。音楽のことはいくらでも語れても、カーッと熱が入ると止まらないのは悪い癖だって、ふたりから散々言われてる。だけど、そんな俺も、彼女は笑いながら楽しいと言ってくれた。
話すとき、俺を見つめる彼女の瞳が好きだ。心を見透かされてしまいそうで、いっそそのまま見透かしてほしいと思うのは、ハンパなくカッコ悪い。
アンたちに呆れられるほど、音楽になら熱い感情をぶちまけられるのに、好きな子相手じゃそうはいかないって……。音楽がなきゃ、まっすぐな愛さえ伝えられない自分。そりゃ、HIPHOPやってる俺だって自分に変わりはないさ。けど、音楽は鎧でもあって、それしか取り柄がない俺が、仲間以外に音なしでぶつかるのはビビってる。
俺が彼女を好きなように、彼女が、音楽で自分を証明する必要のない誰かを好きになってしまったら──その日が来るのを、世界滅亡の時かってくらい恐れてる。
音楽は人を繋ぐ。なら、もしこの世界から音楽がなくなったら、俺たちはずっと、出会えてなかっただろうな。誰かが呼んだSUZAKUの名前が、今だけ少し、儚く響いてた。





ベタな告白でごめん(prli / VISTY / 女主)
あの生配信を見て、本当に出るんだって実感が湧いて、ようやく実力が認められたんだって喜んでた反面、不安でもあったんだ。
ほかのチームの曲を聞いてみてわかった。勝ちに行くということは、君たち自身の戦い。君たちのライバルは、自分自身を世界に向けて表現してた。世間の目なんて気にしませんって感じの強さだ。だからいつか君たちは、私たちの応援なんて必要としなくなるほど、強くなってしまうんじゃないかって。
君たちが輝ける舞台はとても嬉しいのに、どこか寂しくて。どうか勝ってと心の底から祈りながら、内心では、君たちが遠く、高みに行ってしまうことを恐れていた。
敗者復活戦。どんなチームも、曲を出すごとに成長を見せると知っていた私。君たちだって絶対成長してるはず。だからどんな曲になったのか、いい意味でも悪い意味でもドキドキしていた。だってもう負けられない。手段なんて選んでられない。今度こそ君たちは、私たちの手の届かない場所に行ってしまうかも。
そして、曲を聞いた。君たちはやっぱり、強くなっていた。でも君たちは、君たちの運命がかかった一番大事な勝負に、戦う相手でも、世界でもなく、ただ私たちステラを、……ううん、私という、ひとりの人間だけを見ていたんだ。
君たちの強さがなんなのか、それがどこから来るのか。私は勝負に気を取られて、ずっと忘れていたよ。泣きながら、君たちに出会った日のことを思い出してた。平凡な日常の風景から、私を掬いあげてくれたよね。君たちの歌声を聞いているときの特別感。私が私の人生の主役だってことを、思い出せる時間。私という人間を全力で照らしてくれる、とっておきの一番星たち。
君たちを照らす光の海から、迷っていた私を見つけ出して、手を差し伸べてくれてありがとう。私の一方的な愛だと諦めていてごめん。君たちはいつだって、私の愛に愛で返してくれたのに。
君たちも私も、ひとりじゃない。愛してるよ、VISTY。