古い電話が、けたたましくその体を揺らす。
私はすぐに受話器を持ち上げ、二言三言言葉を交わしてから電話を切る。

チン、という音が耳の鼓膜を揺する。綺麗な音だ。

「おじいちゃーん、またちょっと行ってくるー」
「ああ、ロシアさんとこか」
「うんそー……なんかドアノブ壊したとかなんとか。ていうかあの感じなら警察でも呼んだほうがいいんじゃないかな」

最後のほうは独り言になりながらも、工具箱を持つ。
マフラーと手袋はどこだろう。

「早めに帰ってくるから、先ご飯食べておいてー」
「はいよー」





灰色に雪の結晶模様のマフラーを首に巻く。
ドアを開ければ、冷たい風が私の唇を閉じさせる。

それから一歩、石畳に踏み出した。かつん、と冷たい音がする。「寒い、なぁ」





『修理屋』の看板が、風に少しだけ揺らいでいた。





     *





「こんにちはー」





冷たい鼻先を擦りつつ、ドアベルを鳴らす。
中から恐る恐る顔を出したロシアさんは、私を見るとほっとした表情を見せた。
背が大きい人なので、そうして腰を屈めて萎縮している姿は少し可愛らしい。

「こんにちは、ロシアさん」
「うん、こんにちは
「えーと、壊れたドアノブはどこですか?」
「えっとねー」





ロシアさんの家に入ると、暖かさが私を包む。
透明の繭に全身を包まれているようで、不思議な感じがする。

ロシアさんの後ろをついて歩きながら、私は部屋を見渡していた。
と、ロシアさんが停止して私に向き直る。

「これなんだけど……」

彼が指さした先に私は目を凝らす。
ドアノブ本体だけが壊れているのかと思いきや、周りのドアの木まで一緒にはがれていた。
床を見れば、少しだけ木のくずが落ちている。

「うわっ、結構ばきゃっとやりましたね。何これ、泥棒かなんかですか?」
「ううん、妹……」
「え?」
「なんでもないよ」

一瞬、遠い目をしたが大丈夫だろうか。
警察を呼んだほうがいいのでは、と勧めようかと思ったが、余計な御世話かもしれないので黙っておいた。

工具箱を床に降ろし、「それでは少しかかりますので」と断りを入れる。
しかし彼は、ちいさく頷いた後、私の背後から離れる事はなかった。
じっと見られているのは少し気恥ずかしかったが、とりあえず気にせず仕事をすることにした。





     *





「はい、これでオッケーです……多分次はドアを取り替えなきゃ駄目だと思いますけどね」
「あはは……ありがとう」
「いえいえ」





さっきの会話から、ずっと遠い目をしているようだが大丈夫だろうか。今更だが、若干疲れているようにも見える。

「……お疲れ様です」

慰め言葉をかけながら、ぽんぽん、と頭を撫でてみた。
彼の背は大きいから、背伸びしても殆ど前髪にしか触れなかったけど。

手を離すと、隠れていた顔が覗く。
ロシアさんはきょとんとしながら、瞬きしていた。

彼は結構内面が幼いし、やってもいいかなーと思ってやったのだけれど。
まずかったかな。

「あー……」
「……ふふふ」





頬を掻きながら焦っていると、ロシアさんは小さく笑った。
私は首を傾げる。喜んだと解釈すればいいのだろうか。





「ありがとう」
「えっと、二回目ですが……どうも?」
「これからもよろしくね」
「あ、はい……」





煮え切らない気持ちで返事すると、手を出して、と言われる。
半ば反射的に手を出すと、掌をひっくり返され、そこに何かを握らせてもらう。
……お金はさっき貰った、はず。うん。

手を開くと、小袋に入ったプリャニキがあった。

「あ、ども」
「二回目だね」

ふふ、と笑われる。
それにどう返せばいいのか、と思いつつも、プリャニキをポケットにつっこみ、マフラーを首に巻く。長居していたらいけないだろう。

手袋をして、工具箱を持ち上げる。





ドアへ向かうと、ロシアさんも後ろについてきた。
ドアを開けて、ロシアさんに向き直る。





「では、また……、今度」

今度があったら困るよな、と思いつつも言葉を繋いでしまう。





「うん、気をつけてね」





手を振られる。つられて小さく振り返し、私は背を向けた。





     *





「ふう……」





白い息が、私の進行方向とは逆に流れていく。
ふとポケットに手を突っ込み、貰ったプリャニキを取り出す。
袋に少しだけ、皺が目立つ。





「……」





それを親指の腹で一撫でしてから、もう一度ポケットに仕舞いこんだ。
ご飯の後、おやつに食べよう。





そう考えてから、ロシアさんの笑顔がふと浮かんだ。
目線を、空に滑らす。





「……今度は私も、飴でも持っていこうかな」





ポケットの中の暖かな熱を持つプリャニキの味を想像して、頬を緩めた。






暖かい冬