「んふふー、ふふっ」
「何アンタ……さっきから手帳見ては笑って。気持ち悪い」
後ろから突然声がして、スケジュール帳を机の上に落とす。
振り向くと、怪訝な顔をしたお姉ちゃんが立っていた。
「お、お姉ちゃん……入る時は一言言ってよ!」
「言ったわよバカ」
「えっ……」
思わず羞恥で赤くなる。
それ以上喋る事は避けた。
ふと、机の上の小さい時計を見遣ると、もうすぐ十時。
「あ、もう行かなくっちゃ」
「何……そんなにめかしこんで、もしかしてデートぉ?」
お姉ちゃんが眉を吊り上げ、口元だけでにやりと笑う。
私は咄嗟に否定した。
「違う!違うから!」
「ふぅん」
「もうっ、あっち行けー!」
「へーへー」
お姉ちゃんを部屋から追いやり、鞄の紐を掴む。
一度鏡で姿を見てから、っと。
「よし」
★★★
「いってきまーす!」
「うぉっ、」
「あ、ごめんお姉ちゃん!」
妹であるに部屋を追い出され、仕方なく下から飲み物を取ってきたら、
階段を下りる途中のにぶつかりかけた。
は階段の手すりに手をかけ、ぐるりとカーブすると玄関へと向かっていった。
「……なーにいそいでんだか」
全く、予定の無いこっちの身にもなってよね、と思いつつ、が出て行った部屋の扉を開ける。
と対の位置にある自分のベッドに腰掛けてから、ふと、の机の上の手帳に気がついた。
「……」
スケジュール帳だった。
興味本位で摘み上げ、今月のページを開く。
五日は……っと。
「ん?『恭弥くんの誕生日!!十時厳守!!』……いや、恭弥くんって誰よ」
というか、妹が急いでいた理由がわかった。
いや、そうじゃなくて……この『恭弥』くんって、男の子だよね?
口端が、ゆっくりと持ち上がるのが分かった。
元の位置にスケジュール帳を戻して。
「……お母さーん!」
叫びながら、部屋を後にした。
★★★
「あれ……恭弥くんいない」
おかしいなあ、と思いつつ、携帯で時刻を確認する。
うん……十時の五分前だ。もしかしてきっちりの時間に来るのかも。
そう思い、近くにあったベンチに腰掛けようとした。
「ちょっと」
「わ、わっ」
肩を物凄い勢いでつかまれ、強制的に後ろを向かされる。あっ、
「恭弥くん!」
「いちいち叫ばないでよ……うるさいな」
「あ、ごめんね」
そこには、私服姿の恭弥くんがいた。学ランじゃなくて、あっさりした感じの服だった。
でもかっこいいから、モデルっぽく見える。おしゃれしてきて良かった、と思った。隣で浮いたら嫌だ。
小さく手を合わせ謝罪すると、「まぁいいよ」と許してくれた。……なんか、いつもより優しい!
小さく散りばめられたやさしさにほわほわしていると、「で、何するの」と聞かれた。
あ、そうでした!今日は恭弥くんの誕生日のお祝いだもんね!
実は、それを知ったのはゴールデンウィークに入る前。
何もしないと言った恭弥くんに対して、お誘いをかけてみた。
本当は、いつもよりちょっぴり長くお話してみたかったのだ。
仁王立ちして私の返事を待つ恭弥君は……うーん、なんだか、持ち物検査されてる気分。
「んとね、」
★★★
「おかあさーん!が彼氏いるっぽーい!」
リビングで頬づえを付きながらテレビを見ている母にそう報告したら、怪訝な顔で振り向かれた。
「はあ?……アンタ、またのもの触ったの?怒られるよ」
「あんなのが怒ってもそんなに怖くないし!ていうかさ、お母さんは知ってた?」
母の向かい側に座り、テレビを母の視界から遮断する。
ついでにテレビの電源を落とした。
「知らないに決まってるじゃない、アンタが知らないことなのに。ていうか退く!テレビが見えない」
しっしっ、と手で払われる。
どうやら娘の恋愛事情よりテレビの方が気になるようだ。お父さんだったら絶対食いつくのに。
「ええー、そこはつっこんできてよーもう喋りたくて仕方なーい」
「……アンタそのうちバチが当たるわよ」
「いやむしろ宝くじとか当たるんじゃないかな」
にやにやしながら揚げ足を取ったら、諦めたように溜息をつかれた。
「……はぁ。どんな子?」
「うわあ棒読み。えっとね、今日知ったばっかりなんだけどね。名前は恭弥くん!
恭しいの恭に、弥生の弥!」
うん、たしかそんな名前。
「へえ、カッコイイ名前。……」
「だよねー。……て、どうした?」
少し感心した後、母が押し黙る。上目遣いで、何かを考えているか、思い出しているのか。
どうしたんだろう、と考えていたら、母が首を捻って言葉を漏らした。
「いや、なんか聞いた事がある名前だなあって思っただけ」
「どこで?の話とか?」
「いや、そんなんじゃなくて……」
あー、出てこない、と虚空を掴む手。
やっぱり歳だしね、とか言おうと思ったが、昼食が無くなるのは勘弁してほしいので黙った。
と、母が柏手を打つ。何か思い出した様子。
「あー、そうだ!その名前、」
★★★
「……プラネタリウム?」
「うん、小学校の時行ったけどそれっきりだからね」
「つまらなさそうだね」
「そ、そんなことないよ!」
ロマンチックでいいじゃない、とか慌てて弁解すると「別に行かないとは言ってない」と言われた。
「どうやっていくの。バスとか電車は嫌だから」
「うん、知ってるよ。だから遊園地もやめにしたし、水族館もバツにした!」
偉いでしょ!という意味で胸をはったら、恭弥くんは驚いた顔になった。
それから、目線を逸らされた。
……うーん。呆れられたのか、それとも照れてるのか、判別が難しい。
「……で、どうやっていくの?」
「あるいて三十分!……大丈夫、だよね?」
「こそ大丈夫なの」
「うっ、……ちゃんとした靴はいてきたんだから!ほらっ!」
この間買って、まだ二回しか履いていない靴を見せる。
恭弥くんはそれを一瞥してから、すたすたと一人で歩き始めてしまった。
「あっ、待って!」
「……」
「そっちじゃないよ恭弥くん!」
★★★
「なんか、強いヤンキーかなんかの名前!」
「……お母さん、最近あんまりヤンキーって言わない気がする。不良でいいよ無理して使わなくても」
「あ、そう?」
少し照れたのか、あっさり返事しながらも目線を泳がせる。
「てか、不良の名前?ふーん……なんで知ってるの?そんなん」
「んー、この間お隣さんと話してたときだったか、それとも裏のおじさんだったか……」
並べられるご近所さんに、思わず呆れる。毎日毎日、飽きずに噂話ばっかりしてるからだ。
……それともやっぱり歳のせい?
「要するによく覚えてないのね、ハイハイ」
「……まぁでも、恭弥なんてよくある名前だし」
それに確か並盛中にいるって聞いた気がする、と母が呟く。
じゃあなおさら違う。あの子は並中生じゃないし。学区違うから。
「そうだよねー、ていうかとか、絶対理想が高すぎて中々彼氏とか作んないよきっと!」
「でもある日運命の出会いが……ってヤツね」
「案外恭弥くんっていうのも、お友達意識だったりして」
「で、相手はそうは思ってないって感じ?」
二人で顔を見合わせてから噴出した。
「「ないない!」」
★★★
入館料を払い、中に入る。
人はいなくて、私たちだけだった。
……やっぱり、プラネタリウムって人気無いのかな。私は結構好きなんだけど。
それとも、ここの設備が古いから?
ちらりと恭弥くんを見遣る。
「……」
「……」
……でも、恭弥くんの機嫌は悪くなってないし、いいか、と納得した。
プラネタリウム用の機械を囲むように並ぶ赤い座席。それが綺麗な円を描いていて、ちょっとだけ感動。
思わず感嘆が漏れる。これぞ、プラネタリウム。
「おおー……」
「まだ何も始まってないよ」
「し、知ってるよ!見れば分かるから!」
プラネタリウム用の機械を近くで見ると、やっぱり大きい。
この機械を見るたびに、不思議な気持ちになる。
なんだか、夢の中に連れて行ってくれそうな。なんというか、夢見がちになるというか。
「あ、とりあえず座ろうか。あと五分したら始まるらしいし」
「好きなところ、選んだら」
「……、ありがと!」
じゃあねー、と言いながら、円を描く座席の間を抜ける。
座席には確か、振り分け記号のついたプレートがついていて、「あ、ここ!」
小学校の時に行った所と同じところを選択。ここが一番見やすいと思っている。
わくわくしながら、座席に腰掛ける。
恭弥くんは、そんな私の左隣に腰掛ける。
「恭弥くんは、プラネタリウム来た事ある?遠足とか」
「……多分、無い」
「へえ、じゃあ今日が初めて」
「多分ね」
「おおー……じゃあプラネタリウムデビューだね」
……会話が無くなった。
うーん、何を話そう、と話題を探していたら、恭弥くんが「ねえ」と話を振ってきた。
「うん?」
「はなんで僕の、」
その時、ゆっくりと、館内が暗くなった。
まだ始まっていないから、「何?」と続きを促したけど、「あとでいい」と断られた。
……?
少しひっかかりを覚えながらも、私は上を見上げた。
★★★
突然の事で、五月五日に予定が入った。
内容としては、簡単に言えば僕の誕生日祝いについてだった。
最近、とあることで知り合いになったという女子に、『誕生日は何もしない』と言ったら驚かれた。
ちなみに彼女は、僕がある程度並盛で権力を持っている事を知らない。
それから、色々聞かれて、(何か貰ったりは、とか、ケーキは食べるのか、とか)
じゃあ一緒に出かけないか、といわれた。
僕としては、何故誕生日だからといって出かけなければならないのか分からなかったが、
特に嫌な気もしないので了承した。
しかし了承した後、僕は少し後悔した。
彼女は、僕が少々危険な人間である事を知らない。
もしも以前に潰した奴らにでも会ったら、それこそ彼女はどんな反応をする?
分からないが為に悩んだものの、満面の笑みで予定を考えている彼女を止める事はできず。
もし何かあっても、絶対に隠しとおそうと思った。……何故かは分からないが。
「……」
隣で、瞳に星座を反射させている彼女を見遣る。真剣に見ている姿は、どこか幼げだ。
――多分僕は、彼女と、普通の関係でいたかったのだと思う。
いや、もっと簡単に言えば、彼女に嫌われたくなかった。
「……」
ふと、彼女の名前を呼んだことが無いな、と思った。
呼んでみたいと思ったことはある。でもいつも呼べない。結局、名字で呼ぶので終わってしまう。
……彼女は、僕の名前を、恐れも無く呼ぶけど。
僕は、そんな簡単なことすら、彼女の前ではできないらしかった。
★★★
途中まで見たところで、ふと、恭弥くんは楽しんでいるかなと思い、横を向いた。
暗くてよく見えなかったが、上を向いてはいる様子だった。
「……」
昔来たときは、隣の席に座っていたのは女の子だった。少し背が高くて、リーダーシップをとっているような子。
でも今は、恭弥くんだ。
今日は少し暖かかった。でも、館内は少し冷えている。
昔来たときも、こんな風だったかな、と首を捻る。
……一度きた事のあるプラネタリウムだけど、隣にいる人が違うだけで、こんなに雰囲気も変わるものかな、と思った。
……男の子、かあ。
少しだけどきどきする響き。
頬が、熱くなる。なんか恥ずかしい。
……星に集中してよっと。
そう思い、取り繕うように、星座を見上げた。
★★★
「綺麗だったね、星!恭弥くん見た?」
「見たよ」
「それは良かった」
缶ジュースのプルタブを引っ張り、飲み口をあける。
館内を出たところにあった椅子に座り、私は自販機で缶ジュースを購入した。
恭弥くんは何か飲まないのかな。
じっと見つめていたら、恭弥くんが「そういえば、」と話を切り出した。
うん?
「さっきの続きだけど、」
「ああ、うん」
プラネタリウムを見る前に言ってたやつだな。すっかり忘れてた。
「は、なんで僕の誕生日を祝おうとするの」
「……えーと」
切れ長の目で見られ、返答に窮する。
……いいのかな?正直に言えば。
「私の中では、やっぱり誕生日は祝うものかなっていうのがあって」
「ふうん」
「あとは、」
口篭もる。
……どうしよう、言おうかな。今考えたら恥ずかしい。恭弥くんと話したかったです、なんて。
「あ、あーっと、恭弥くんこそ、なんで誘いにのってくれたの?」
「……」
「……」
二人で沈黙ごっこになった。
……話しにきたのに黙っちゃうのは、どうなの私。
ちらりと恭弥くんを見る。目線は合わない。何か考えてる。
「……えと」
「……」
「あと、さ。私、恭弥くんと、色々話したいかなーなんて」
最後の方は早口になった。
後ろめたさとは違うけど、なんというか、恥ずかしい。
顔が見れないな、と思っていたら、視界で彼の指が少し動いた。
開いていた掌が、柔い拳を作る。
「……そう」
「……」
「……僕も、そうだから」
「えっ?」
な、なんていったのきょうやくん!
そう思って横を見ると、恭弥くんは立ち上がってしまった所だった。
恭弥くんの背中と、顔の輪郭しか見えない。
なんだかそのままどこかへ行ってしまいそうな気がした。けれども、彼は振り返って。
「早く行くよ。もうお昼だから」
いつもの調子で、けれども少しだけ、照れたように呟いた。
five-five