「うへー、喉痛い」
小さくつぶやきながら、夜道を歩く。涼しい空気が頬をすべり、気持ちがいい。
今日は火曜日。つまり、この間京と約束した遊ぶ日である。人数は私を入れて八人で、案の定カラオケにいった。
楽しかったんだけど、部屋がちょっと乾燥してたみたいで、喉がひりつく。
「(そういや京、男の子とメアド交換してたな……)」
明日にでも聞き出さなきゃ、と思ってにやける。
それからぼんやりしながらてくてくとアパートまで歩いていく。
私の足音と、たまに遠くから鳴る救急車のサイレンしか聞こえないから、道路はひっそりとしている。ぽつぽつ点いた電灯に、怪談を思い出して少しだけぞぞっとする。……私の馬鹿。
ふと人気を感じて、後ろを振り向いた。ちょっとビビっていたのもある。
わずかに聞こえる足音。暗闇に見えるシルエット。男性のようだ。
その人が電灯の下をとおり、そこで私はそれが誰であるかに気がついた。
「柿本さん!」
「……」
あちらも私に気づいたようで、目線がかち合う。
私は歩みを止めて、柿本さんがやってくるのを待つ。
私の隣に並んだ柿本さんは、やっぱり大きかった。
「こんばんは」
「……こんばんは」
小さく、不慣れなように挨拶を返される。それがぎこちなくて、ほほえましい。
それから合図もなく、なんとはなしに二人で歩きだす。
「まだまだ夜が涼しくて楽ですね」
「……」
「……あー、と」
柿本さん、返事くらいしてください。ちょっと気まずい。
……まあ、この沈黙にも少しは慣れたのだけれど。最初は翻弄されっぱなしだったし。
柿本さんに世間話は難しいなあ、と思いつつ、必ず返事を返さなければならないような話題を持ち出す。
それはついこの間、聞こうと思っていたこと。
「柿本さんって、大学生ですよね? どこの学部ですか?」
「……」
そこで柿本さんが、眼鏡の奥で小さく目を瞬かせた。
思わず私は足を止める。
「あれ、違う……? でもあのアパートってK大しか近くないですよね?」
「……、一応、社会人」
「一応?」
「……」
聞き返すと、柿本さんは黙ってしまった。何だろう、聞いちゃいけなかったかな。
そう思い、私は話題を少し変える。
「でも柿本さんって私と同い年くらいに見えますね」
「……そっちは、いくつなの」
「私ですか? 私は大学一回生、十八です。来月十九ですが」
「ひとつ上」
「へー」
私なんてまだまだ働きたくないのにすごい。しっかりしているように見えてしまう。……いや、実際しっかりしてる。
仕事帰りなのかな、と思ったけど、柿本さんは私服だ。それとも私服オッケーとか? うわ、いいな。
「は、」
「えっ!?」
「……なに」
思わず出た奇声に、少しあきれたように聞き返された。
あ、いやその、「名前、呼ばれて。ちょっとびっくりしました」
一瞬何を言ったのか理解できなかった。
少しだけ頬が緩み、へへ、と笑いをこぼす。
千種さんは小さくめんどいとつぶやくと(また言った)、眼鏡のブリッジを押し上げる。
「は学部、どこなの」
「私ですか? 私はコミュニケーション学部なんですよね」
コミュニケーション学部……と小さくつぶやいて、千種さんが虚空を見る。
まぁそう言われてもぴんとこないと思う。私もぴんとこないし。
「まぁなんかよくわからない学部ですよ」
「……」
「そういえば柿本さん」
「……何」
「柿本さんの下の名前って、何ですか? 犬さんはわかるんですけど」
なんとなく犬さんは下の名前で呼んでしまう。城島、が言いにくいからかもしれない。
柿本さんは少し考えると、「……千種」と小さくつぶやいた。
「千種? 変わった名前ですね」
さあ、とでも言うように柿本さんが首をかしげる。
「少なくとも私は今まで聞いたことないです……、千種さんて、呼んでいいですか?」
「……好きにすれば」
ちょっとぶっきらぼうな物言いだった。けれどもそれが柿本さん、もとい千種さんの通常であり、もっと言うならば千種さんは意外と優しい。
そんなことを考えながら、私は千種さんの名前を反芻していた。
私と千種さんは二階の階段の踊り場で別れた。
そのときにおやすみなさい、と言ったら、千種さんは小さく手を振り返してくれた。
それが少しうれしくて、にやけながら鍵を穴に差し込む。
ドアノブをあけて、部屋のにおいを吸い込む。
千種さんといっぱい話せたし、なんとなくラッキー、と考えながら、私は靴を脱いだ。
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