「先輩、これをどうぞ」





中庭の木の下、私は両手で、先輩に手紙を差し出す。
先輩はぽかんとしたまま、私と手紙を交互に見遣る。





「ええと……?これは?」
「手紙ですよ」
「いや、そうじゃなくってだな……どうしたお前」





頬を人さし指で掻く先輩は、困っている風だった。
困らせてしまったという事実に、私はちょっとだけ傷付く。





「読んでくれなくても、捨ててくれても構いません。でも、とりあえず受け取ってください」
「……ああ、分かったよ」





先輩が手紙を摘み、持ち上げる。
私はすぐに手を離して、それから深々と頭を下げ、そして去った。





「……手紙には、いい思い出がないんだがな」





先輩が、そう呟いていた事に気がつかずに。





______





ベッドの上に携帯を置き、私は正座したまま待っていた。





今日先輩に渡した手紙には、私のメールアドレスが入っている。
だからもし、もし、先輩があの手紙を読んだのなら。メールをしてくれるかもしれない。





先輩とは、高校に入ってからの付き合いだ。
中学が同じということもなく、接点はゼロのように思えた。しかしある時、変な女の先輩を目撃し(すずなんたら先輩)、その近くで力尽きている先輩を慰めたのが始まりだった。

何でこの人、こんなになってまですずなんたら先輩に付き合っているんだろう、とか、やる気なさげな目が優しそうに見えるな、とか、お人よしなのか優柔不断なのかどっちもなのか、とか。





つまり私は、先輩に興味を持ち、そして行動した。





昼ご飯を食べているときに先輩を見つければ、箸を放り出して駆け出したし、外で体育をやっている姿を見つめれば、教師の話を無視して目で追う。
ちょっとしたことでも話しかけまくって、私は先輩の癖なんかを把握していった。

あちらも、私の顔を覚えてくれたらしく、時折「」と呼んでくれる。





その音の響きを思い出して、にやにやしたり、恥ずかしくなったりしてベッドをごろごろしていたら、携帯から音が鳴った。ちなみに初期設定のままだ。





「先輩!」





と私は確かめもせずに叫び、携帯に飛びついた。
逆パカする勢いで、携帯を開く。





『これってのアドレスだよな?』





そこには、簡潔な文章が書かれていた。
ぺったりと伸ばされただけの文字が、私の視覚をどんどん突いてくる。

私は急に気恥ずかしくなり、口を手で覆っては、枕を叩いたり、ベッドで飛び跳ねたりした。





それらを少しくり返してから、返信しなきゃ、と我に返った。





『合ってますよー。貴女の後輩です』





どんな文章を打てば煙たがられないか考え、日常会話的な文章に落ち着いた。
送信ボタンを押し、携帯をたたんで、手の平の中に閉じ込める。
ドキドキが、お腹の底で疼く。そわそわと、落ち着かない気分だ。

しばらくすると返信が返ってきたので、またもや勢いよく開き、文面を確認した。





『んじゃ登録しとく。また明日な』





「……!」





私はゆるむ頬を押さえ、辺りをきょろきょろと見回した。この喜びを、誰かと分かち合いたい気分だ。
何度も、携帯を開けては閉めをくり返し、文章を読み直す。





『また明日な』





その言葉が、私の胸に、じんわりと染み込んだ。





______





「あふ……」





欠伸をして、目の縁に溢れた涙を指で拭う。
昨日は興奮して、中々寝付けなかった。しかも、寝付けないたびに、先輩のアドレスとメールを目で追ってしまうのだから、重傷だ。





!」
「……あ、先輩、おはよー、ございます」





あのメールを思い出し、おはようございますの挨拶が、変なところで途切れた。
耳が少し熱い。

先輩は私を見ながら、少し苦笑した。





「昨日のあれ、メールアドレスだったんだな。言えばちゃんと、赤外線送信したんだが」
「……すいません、まだちょっと、携帯に慣れてないので」
「でもま、別にいいさ」





そう言う先輩の声は優しい。

昨日の一見もあって、なんだか昨日はしゃいでいたのを見透かされた気持ちになる。





そのまま無言で、とくとくと歩く。





「……あのさ、」
「はい?」
「俺もあんまり、携帯慣れてないんだよ。だからさ、ちゃんと会って話そうと思ったんだ」
「……」
?」
「こっち見ないで下さい、せんぱい」
「は?」
「いいから」





先輩のどストレート(天然)に、私は思わず赤面する。ああ、むずがゆい。期待しちゃう。
先輩は、不思議そうにしつつも、私から目線を逸らしたようだった。





私はドキドキしながら、心臓ちょっと落ち着け、と自分に言い聞かせた。
しばらくすれば、熱は少し出て行く。





「……先輩は、もう少し、発言を謹んで」
「ええ?俺なんか、変なこと言ったか」
「そうじゃなくって、」





ああ、また熱が戻ってきそう。





なんとなく、昨日のことを思い出す。

先輩の名前を、どんな風に登録しようか迷って、「キョン先輩」に落ち着いた。
私は未だに、先輩のこの愛称を読んだことはない。





けど、この名前を呼んだら、もっと親しくなれるんじゃないかな、って思って。
そしたら次は本名かな、とか色々妄想して。





にやにやしてたのだ。





恥ずかしさに苛まれていると、先輩がふと、、と私の名前を呼んだ。

「はい?」

少し俯いたまま返事をする。





「俺はまあ……昨日手紙を貰ってびっくりしてたんだが」
「はあ、」
「内心ちょっと、なんというか、緊張してたんだよ」
「……え?」
「開けたくて仕方がなかったんだが……開けたら憤死するに違いない、と学校では自重していたわけだ」
「……」
「実際家に帰って開けてみたら、ちょっと想像と違ったんだが、それでも俺混乱してさ」





ちょ、ちょっと待って先輩。これ夢?夢ですよね?目、早く覚めて。お願い。





「だから、……なんというか、ちょっと期待しても、いいよ、な?」
「……っ、」





我慢できず、見上げた先輩の顔は、真っ赤だった。
しかし、かすかに口角は上がり、にやけか引きつりかのどちらかを押さえ込んでいるようだった。





どこかで見たような光景。それは多分、昨日の私。





「や、やだ先輩……私も、なんていうか、勘違い、しますよ」
「……ああ、しててくれ」





かっこいいセリフなのに、先輩はすごく照れていて、かっこよくなかった。





でもそれが、先輩っぽいな、と少しだけときめいた。










[恋を送信中...]