アッ! と億泰が突然叫び、未だ眠りから覚めきれない仗助は思わず肩を跳ね上がらせた。制服の上から思わず心臓を押さえる。「億泰ゥ、いきなりデゲー声出すなよな」
仗助の非難がましい目もどこへやら、億泰はある一点をぼーっと見つめていた。仗助は億泰の肩越しに、視線の先をたどる。「お姫ちゃんだ」

視線の先には、長い亜麻色の髪を揺らす女生徒がいた。
あの制服は確か隣町の女子高のものだったなと仗助は思いだした。

「お姫ちゃん? 何だそりゃ」
「あのコだよあのコ! あーっメチャクチャかわいい! 今日は朝からツイてる!」
「だから何だそれって聞いてんだよ」

いらだたしげに仗助が聞くと、億泰は「お前そんなのも知らないの」という顔で仗助の顔を見るので、仗助は思わず億泰の後頭部をはたいてしまった。

「だ〜か〜らァ! 見りゃわかんだろっ! おとぎ話に出てくるお姫様みたいにカワイイから『お姫ちゃん』! 隣町の女子高のちゃん!」
「オメー名前まで知ってんのかよ…気持ちわりィな〜」
「ダアホ! 知らねー仗助のほうがおかしいんだぜ!」

そういうもんなのか、と仗助は再度彼女――を見た。
ふわふわと揺れるカールした毛先に、細くて白っぽい長い手足が裾から伸びている。ハーフなのか、目鼻立ちはくっきりしていたが、横髪に隠れた表情はおとなしそうで、姫というよりも人形のようで、わずかに怪しげな色気が感じられるようだった。
普段どちらかといえば活発な女性を見ていることが多いせいか、は仗助の目に多少新鮮には映ったが、すぐに興味は消えてしまった。











「仗助くん、隣のクラスの新村くんの話聞いた?」
「新村? ああ、そういやあなんか……」
「知ってる。行方不明とか言うヤツだろ? どうせ家出だぜ」

を見てから3日ほど経った日の昼。3人で昼食を囲んでいると、少し思いつめたような顔で康一が切り出した。仗助たちの隣のクラスでは、現在新村という少年がどこにも連絡がついていない、という話題で持ちきりだった。
新村という少年は両親が共働きで、家を何日もあけることも多かった。本人自体もいわゆる「不良」というヤツで、学校をサボるのはしょっちゅうだった。いなくなったのは3日前程度だと言われているのに、大きな話題にならなかったのはそういう理由があった。
そんなんだったら家出もしたくなるよなァ、愛情不足だよ、とは億泰の弁である。

「でも…もし本当に何か…事件に巻き込まれていたら」

康一の一言に、仗助たちの体がわずかにこわばった。彼らはついこの間まで、杜王町に潜む殺人鬼と対峙していたからだ。

「一応…調べてみっか」

仗助がそうつぶやくと、2人は静かにうなづいた。
そしてその日の放課後――3人は、も行方不明だという噂話を耳にする。










「見て、カッコイイ……」
「本当……」


ひそひそと交わされる女生徒の声を耳にしながら、仗助は少しばかり肩身の狭い思いをしていた。
億泰と康一が新村についての情報を集める傍ら、仗助はの通っている隣町の女子高へと聞き込みに来ていた。
億泰が行きたいと懇願していたのだが、康一によって「億泰くんは顔がコワイからやめときなよ〜」と一刀両断された。その康一も、彼の恋人に余計な詮索をさせたくないから、という理由で付いてきてはいない。

仗助の目立つ容姿が騒がれるのはいつものことだが、女子高であるせいなのか、校風なのか、女生徒は静かに控えめに色めき立つ。調子狂うぜ、と仗助は小さく肩を落とした。

ようやく決心がつき、仗助は校門を潜り抜ける女生徒の1人を捕まえる。
女生徒は大げさに肩を揺らし、一歩退く。その反応に仗助は首の裏をかきながら、極めて友好的に話を切り出した。

「え〜っとォ、アンタさ、って知ってる?」
、さん……?」

その少女が戸惑うように聞き返すと、その少女の隣にいた別の女生徒が「またさんに何かするつもりなのッ」と小さく叫んだ。

「また?」
「あッ」

仗助が目をやると、その女生徒は少女の背中にさっと隠れてしまった。少女もまた、学生鞄を胸の位置まで上げて警戒態勢である。
仗助はあわてて手を振り、「何もしねぇって〜!」と警戒を解こうと必死になった。

仗助の必死な様子に、不審げな目で見つめる少女たちは少しだけ警戒を解く。

「ええと…また、っていうのは?」
「…あなた、ぶどうヶ丘高校の人でしょう」
「ん? ああ」


少女たちはやっぱり、と目線を交わした。

「前も、さんを尋ねてきたぶどうヶ丘高校の人がいたわ……その……あなたみたいな『不良』の人よ…」
さん、かわいそうに……きっとあの人に脅されてるんだわ…あんなにかわいいもの…」

2人は仗助の存在など忘れたように、小さくささやきあった。
それから顔を上げて、「さんなら、3日前から学校に来ていないわ。でも、体調が優れないとかよきっと」「そうよ、行方不明だなんて失礼なうわさ」と言った。

仗助は少しだけ考えて、「なあ、その…俺の学校のヤツって、どんな風だった」と聞いた。
2人の少女は首をかしげ、容姿について羅列した。
それを全て聞くと、仗助は息を吐き出した。

「ありがとな。もう行っていいぜ。……友達思いなんだな」

をかばう2人の言葉に仗助がそう付け足すと、2人はきょとんとして目を合わせ、それから、苦々しげに笑った。


「私たち、別に仲がいいってわけじゃないけれど……」
さんって、誰とも特別仲がいいわけじゃないわ」










女子高独特の雰囲気に充てられた仗助は、少し狐につままれたような心もちで杜王町へと戻った。
これからそのまま帰宅せずに、の家へと向かうのだ。

あの女生徒達が言っていた『ぶどうヶ丘高校の不良』は十中八九新村だ。となれば、はこの件につながっているかもしれないし、もしかすると新村の手によって、何かの事件に巻き込まれているかもしれない。仗助の脳裏に、を『姫ちゃん』と呼ぶ億泰が浮かんだ。

「(これじゃあよ〜っ、ホントに囚われのお姫様だぜ……)」

町の中心から少し離れたところに、の家はあった。田舎の土地が余っているのを容赦なく使ったような、洋館とも呼べそうな家が建っている。
黒の蔦模様の格子門の向こうには、薔薇の花が咲く庭園があった。

仗助は先ほどとは違う理由で、姫だなあとつぶやいた。
それから、格子戸の隣にあるインターホンに手を伸ばす。

音が鳴ったのか鳴っていないのかも分からないが、仗助は少しだけ姿勢を正して反応をまった。
しかし返事はなく、すずめが鳴きながら仗助の頭上を通過した。

「いねーのか…留守なのかなァ」

んー、と仗助は格子戸の向こう側を見やる。大きな屋敷は沈黙したままだ。
仗助はまた明日出直すかなと思った。
しかし、何か起きていては困るのだ。散々迷った挙句、仗助は門を壊して中に入った。










何かおかしい。仗助は直感でそう思った。
屋敷の大きな扉は、鍵もかけられていなかった。扉を静かに開けてはいると、穏やかな外観とは裏腹に、薄暗い廊下が伸びていた。まるで幽霊屋敷のようだ。
ひっそりと静まり返った室内は、少しだけ冷えている感じもする。

仗助は一応、と靴を脱ぐと、かばんを置いて廊下に踏み出した。
暗い廊下は、誰かに後ろに立たれても気付かなさそうだ。電気のスイッチはどこだろうか、と仗助は手探りしながらそろりと歩みを進める。

ふと、右足のつま先に何かが当たり、仗助は無言で飛びあがった。あわてて一歩後ずさり、それから虫のような感触ではなかったな、とそれだけを強く頭に刻み付ける。再び、先ほどの場所に向かってつま先を伸ばす。

「(何だコリャ……置物かなんかかな)」

つんつんとつついてみるが、それがなんなのかわからない。
仗助は静かに座りこむと、その物体を手で触った。それから、その物の――ぬくもりに、はっと息を呑んだ。

「(こりゃあ…人間の足……いや、手だッ! 切断されてるわけじゃねえ、ぬくもりがある!)」

すっと耳を澄ますと、わずかに呼吸音が聞こえた。

「(人が倒れているッ! やっぱりこりゃあなんかあるぜ……)」

じっと暗闇に目を凝らすと、倒れているのは初老の男性だということがわかった。
服装もしっかりしたものであるから、もしかしたら使用人なのかもしれない。

仗助は立ち上がり、壁に手をついた。ふと、手に硬い感触を覚え、まさぐってみるとそれは電気のスイッチらしかった。
適当なスイッチを入れると、手前のほうから順番に、廊下の電気が点いた。
まばゆさに顔をしかめると、廊下に敷かれた赤い絨毯と、足元に倒れている男性の姿が浮き上がってくるのが見えた。
仗助は男性を壁にもたれかからせると、静かに肩を揺さぶった。

男性は気持ちよく眠っているようだった。揺さぶっても、わずかに口をもごもごと動かすばかりだ。
仗助が鼻をつまんで口を閉じても、一向に起きる気配はない。あやうく窒息死させそうになり、仗助は慌てて手を離す。なんてヤツだ、と少し呆れた。

しかし、体調が悪いとか、そういう様子はないようだった。いかにも幸せですといわんばかりに惰眠をむさぼる男を見つめる仗助の耳に、わずかに何かの音が聞こえる。

「ん?」

廊下の奥に目を凝らす。
空気を奮わせるこの音は――





「は、蜂!?」





大きな羽音を立てて、蜂のようなものが、仗助目掛けて飛んできた。











仗助は足をもつれさせながら、慌てて扉を開けて外に出た。転がり出た勢いのまま門に向かって走り、ちらりと後ろを見やる。
後ろには何もいない。来たときと同じ、静かな洋館が立っているだけだ。

蜂のようなものが追ってきていないことを確認した仗助は、ぴたりを足を止めた。

「何だありゃあ…」

蜂だろうか。いやそうではない。もっと大きかった。
まるでおもちゃのようで、仗助の手のふた回り小さいくらいだった。
蜂の形をしていて、蜂ではない、あれは――





「スタンドだぜ、ありゃあ」





重清のハーヴェストや形兆のバッドカンパニーのような小さなスタンドだ。しかし、1体しかいなかった。他にもいるのだろうか。

やはりこの件、スタンドが絡んでいる、と仗助が思ったと同時に、足から伝わるやわらかい感覚に、仗助は思わず足元を見た。
それから思わず「ああーッ!」と叫んだ。

仗助は驚いて逃げ出したばかりに、靴を履いてくるのを忘れていた。ついでに鞄も、玄関に置いたままだ。
情けないやら恥ずかしいやらで、仗助は少しだけ涙目になった。









スタンドが絡んでいるのなら、もう遠慮はしない。
仗助は薔薇の庭をくぐり、手近にあったステンドグラス風の窓を壊した。

中に入ると、やはり日光が差し込んでいるものの、そこは暗かった。しかし迂闊に電気をつけると、また先ほどのような目にあうかもしれない。
仗助はクレイジー・ダイヤモンドを出し、ゆっくりと歩き始めた。

あのスタンドの使用者を探さなくては。その思いだけが、仗助の足を突き動かしていた。
新村のスタンドなのか、はたまた、他の誰かのスタンドなのか。それがわからないといけない。
そもそもあのスタンドの能力すら分からないのだ。

足音も立てないようにし、屋敷の中を探索する。
先ほどの廊下の辺りに出て、仗助は少し警戒したが、スタンドはいないようだった。

1つずつドアを開けていく。
書斎、物置の部屋、キッチン、同じような作りの扉から様々な部屋が現れ、さすが豪邸と仗助は内心感心した。

キッチンを探索していると、そこにも誰か倒れていた。
抱き起こしてみるとそれは、中年の女性のようだった。よくよく見てみると、彼女の周りにはボウルや木ベラが散乱していた。机の上には、作りかけらしい料理がおいたままである。

「…妙だな」

仗助は首をかしげた。
その料理は変色もしていなければ腐ってもいない。カビが生えたような後もない。

の同級生の話によると、が学校に来なくなったのは3日前で、もしその原因が先ほどのスタンドのせいであるなら、この料理は3日前から放置されているはずである。
今は暑い時期であるし、いくらこの家が薄ら寒いといっても、3日放置されていればさすがに何かしら変化があるのではないだろうか。

それとも、この異変は3日前ではなくて昨日今日からで、は本当に体調が悪くて休んだまま、事件に巻き込まれたのだろうか。

不思議に思いながらも、仗助はキッチンを物色した。
何か使えそうなものを探していると、ふと、先ほど聞いていた音が聞こえ、仗助は咄嗟に側にあった窓ガラスを割った。
急いで外に出ると、ひゅん、と何かが一瞬きらめき、部屋の中を旋回した。
仗助を探しているのだ。来るか、と仗助は、手に握ったスパイスの瓶を構えた。

しかし、スタンドは仗助を見つけた後、一定の距離を保ったまま、空中で停止した。
それから、戸惑うように、距離を保ったまま左右に揺れる。

先ほどは暗くて見えなかったが、スタンドの体から落ちた金色の鱗粉が、日の光に反射してキラキラと輝いていた。

「何だコイツ…?」

襲ってこないのか? そう思いながらも、このままでは埒が明かない。仗助は一度窓ガラスを直すと、手に持っていたスパイスの瓶を割って、そのカケラで突き破るように、再度窓ガラスを割った。

「直す!」

以前片桐安十郎を捉えたときと同じようにして、スタンドをスパイスの瓶に捉える。
瓶の中で激しくもがいているらしいスタンドの振動が手のひらに伝わってくる。しかし、捉えてしまえばなんということはない。

仗助はキッチンに再び侵入すると、手の中にある瓶を少しだけ手でもてあそんだ。

「さて……お前の使い手は、どこにいるんだ?」









1階を探し終え、仗助は螺旋階段を上っていった。
次は2階だ。しらみつぶしに部屋を空けていく。

それにしても大きい家だな、と仗助は思った。
外から見たときは、大きくて部屋もたくさんありそうで、なかなかいいなと思ったのだが、いざ入ってみるとあまりうらやましいとは思えなかった。
家の中は薄暗くひんやりしていて、まるで息を潜めているようだった。
先ほどのぞいた――家の主人のものだろうか――小さな書斎も、本がきっちりと並べられ、掃除がされてはいるものの、生活感というものが欠如しているような気がしてならなかった。

1つを除いて、全ての部屋を巡回した。
瓶の中のスタンドは、疲れ果てたのか、くったりとして抵抗する様子がない。

最後に、一番奥の部屋の扉の前に立つ。
扉には金古美のプレートがつけられており、の名前が筆記体で彫られていた。

少し緊張しながらも、仗助はドアノブを握る。
きい、と思ったよりも軽く開いた扉の中へ、一歩進む。





「!」





真っ青な顔で震えているが、壁にもたれたまま、怯えた目で仗助を見つめていた。










暗い部屋はカーテンも締め切られていたが、少しだけ隙間が開いており、わずかな光がこぼれていた。

を見た仗助は少しショックになりながらも、慌ててに駆け寄ろうとした。

「オイ! 大丈夫かよ!」
「来ないでッ!」

しかし、金切り声でが制止をかける。その必死な声色に、思わず仗助の足が縫い付けられたように止まってしまった。
の浅い息の音がする。差し込む日光が、の手負いの獣のような瞳を浮き上がらせる。

仗助は何がなんだかわからないまま、ふと、の側にあるベッドに目をやった。
天蓋のついた、薄いピンク色のベッドの中央には、見慣れた真っ黒な制服があった。





「あれは…ぶどうヶ丘の…」





仗助がそうつぶやいた途端、はぴたっと一瞬息を止めて、そのままワッと泣き出して、床に突っ伏した。
長い亜麻色の髪がばらばらに絡みあって広がる。

「ごめんなさい…! こんなことに…なんで…私だけ…どうしたらいいの!」

嗚咽を漏らしながら、は仗助に向かって途切れ途切れに謝った。
先ほどの様子からは考えられないほど弱弱しい姿に、仗助は少したじろぐ。

支離滅裂な言葉を吐くだったが、ふとその口からこぼれた言葉に、仗助はピクリと反応した。





「…助けて…」





仗助は思わずに近づくと、突っ伏したの両肩をつかみ対面させた。
は顔を両手で覆ったまま、罰を怖がる子どものように泣きじゃくり、その手から逃れようとする。

仗助は強く、しかしやさしくの肩をつかんだまま、はっきりと口を開いた。「――何が起きてるのかわからねえ。だけど、アンタのことは、絶対、オレが助ける!」





強い風が吹き、の部屋のカーテンが大きく揺れる。
暖かい日差しの中で、両手から顔を上げて仗助を見たは――確かにそこに救いの目を見た。







「まず最初に聞くッスけどォ、これは、アンタのスタンド?」





仗助は落ちついたと向き合い、胡坐をかいて座ると、の目の前に先ほどのスタンドが入った瓶を置いた。
はハッとしてそれを取ろうとするが、それを仗助が取り上げる。

「やっぱり、……見えてるんスね」

はばつが悪そうに下を向いて目を伏せた。
それからまた、両手で顔を覆った。

「私、どうしたらいいの…」
「さっきから言ってる…それはどういうことッスか」

仗助が目を細めると、は指の隙間から目を少しだけのぞかせ、逡巡する。





「……私……その子が……“ハート・オブ・グラス”が……操れなくなったの」





「操れなく“なった”?」





仗助は思わず眉根を寄せた。

「いやいや、ちょっと待てよ。まるで前は操れてたみてーな……アンタ、ええと、さんにコイツが発現したのは、3日くらい前じゃあないのか?」
「? なぜ……?」
「いや、だってよォ……そこにいるのは、“3日前”に行方不明になった新村だぜ。行方不明はもう十中八九アンタの仕業だ。その時発現したんじゃあないんスか」

行方不明、という言葉には悲しそうにしたが、それでも仗助の問いには答えた。

「いいえ……ハート・オブ・グラスが生まれたのは…その…私が小さい頃。いきなり、高熱になって…それで…」

高熱、という言葉に、仗助はわずかに反応した。自分と同じだ。
しかしそれには突っ込まずに、仗助は話を続ける。

「じゃあ、操れなくなった、っつーのは…」
「…私、3日前に、――恋人である新村くんに、別れ話を切り出されたの」





非常に辛そうに告げられた言葉に、仗助は思わず目を剥き、そして絶叫した。









「こ、恋人ォ!?」
「え、ええ…」

仗助はてっきり、新村がにストーカーでもしているのかと思っていた。しかしこの話し方を見るに、のほうが新村を思っているのだと感じられた。
驚く仗助を尻目に、は小さく言葉を続ける。



「私、ビックリした…別れよう、なんていわれて、頭が真っ白になったの…でも、新村くんにすがりついたら、煙たがられるかもしれないとか、冗談かもしれないとか、いろんなことが頭を駆け巡って…」





そして息を詰めながら、は言葉を搾り出した。





「でも、たった1つだけだった。私は……一緒にいてほしいという強い気持ちがあったの……そしたら、体の奥底から、熱いものがあふれる感じがして……気がついたら、ハート・オブ・グラスが、すごい勢いで暴走しはじめたの」

はぽたぽたと再び涙をこぼした。

「止まってといっているのに止まらなくて、私怖くて……家中の人も、物も、ハート・オブ・グラスで眠ってしまった。私は怖くて、部屋からでられなかった。毎日毎日、誰かが私を罰しに来るんじゃあないかって……夜も眠れなかった」

そこで仗助は合点がいった。
あの蜂のスタンド――ハート・オブ・グラスの能力は『鱗粉で人を眠らせる』というものだったのだと。

「それで…来たのがオレだったんスね」

はこくりとうなづき、瓶の中の己のスタンドを見た。
その目は僅かに絶望に染まっている。





「この子は……いつもパパが帰ってこなくて、不安な私を眠らせてくれた……でも……今は違う……誰も目覚めない…永遠の眠りにつかせてしまった…」





の悲痛な声を聞き、仗助は強く決心すると、背筋を伸ばして座りなおした。





「ヨシッ! じゃあこの瓶、開けてみようぜ」
「え…?」
「どうせ開かなきゃ、この眠りは解除されないんスよね」
「うん…でも…」





仗助はニカッと笑うと、瓶を持ち上げた。






「なら、一緒に開けるッス! もしかしたら、今はもう弱ってるし、大丈夫かもしれないぜ」
「……本当に…?」
「オレのこと、信じて」





仗助の鮮やかな瞳が、きらりと光る。その目をみるだけで、は不思議と、心が凪いでいく気がした。
は立ち上がると、窓辺に寄る。





「…窓と、カーテンを閉めないと。この子は、日の光が苦手だから」
「……ああ、それで」
「?」





は窓とカーテンを閉め、仗助に向き直ると、「……本当にいいの?」ともう一度問いかけた。





「ここにはもう、日の光がない。もし暴走したら今度は……あなたも眠ってしまうかも」





仗助はの白くて小さい両手に瓶を握らせる。それから、その手のひらを、自分の手のひらで包んでぎゅっと握った。





「覚悟はできてるぜ……ぜってー、大丈夫、っスよ」





仗助は再び、の目を見て笑った。
はその笑みを見て、静かに瓶の蓋に手をかけた。





瓶の蓋は、思ったよりもすぐに開いた。カポン、という音がして、ハート・オブ・グラスが、わずかに触覚をゆらす。
それから、羽を揺らして、瓶の中からゆっくりと飛び出した。

ハート・オブ・グラスは部屋の中をゆっくりと飛び回り、仗助の肩を超えると、と対面した。
それからゆっくりとの顔に近づき、幼い頃やっていたように、その体をの頬にこすらせた。





「ハート・オブ・グラス……!」





の頬が緩み、紅潮する。そして、両手にハート・オブ・グラスを乗せると、は正面に立つ仗助を見た。
仗助は眠っていない。ただ、静かに笑っていた。









「全く、いっつも厄介ごとばっかり引き起こしやがって」
「そー言うなよ!」
「ったく……さんだったか。コイツとは付き合わないほうが身のためだぜ。馬鹿が移る」
「んだとォ!?」

お約束のやり取りを繰り返しながら、岸部露伴は新村の記憶を書き直した。
仗助に公園に呼び出された露伴は、嫌々ながらも、今回の騒動に関わった人間の記憶を書き直すことを、の家の中と自身を取材する、という取引によって引き受けた。

さん! コイツけっこーイヤラシイから、取材なんか受けなくたっていーんすよ!」
「何言ってんだよ。僕だって、こんな風に外見ばっかりいいような陰気な女の子、あんまり取材する気にはなれないんだぜ。こんな馬鹿デカイ家だって見飽きてるくらいさ。でも何事も経験だからな」
「あーッ! テメー、さんまで馬鹿にすんじゃねー!」

そんなに取材意欲がわかないのに助けてくれるなんて、もしかして根はいい人なのだろうか、と思いつつもは口に出さなかった。
記憶を書き直し、ぶつぶつと嫌味を言う露伴には再度頭を下げた。

露伴と別れた後、2人は公園を出て、少し歩いた。

「…本当に、ありがとう、ええと…」

は少し逡巡しながら、苦笑いした。「私、名前も聞いてなかった。私は、。あなたの名前は?」

「あー、そういやァ…東方仗助ッス」
「あなたが東方くんなの? 新村くんから聞いたことがある…そういえばどうして私の名前を知ってるの?」
「んー、ダチがファンでよォ。あ、よかったら一度会ってやってほしいッス」
「ファン? おもしろい人だね」

新村のこともあるし、億泰、お前が不良であっても、もしかしたら『姫ちゃん』と付き合えるかもしんねーぞ。仗助はそう思いながら、夕暮れの空を見上げる。
そういえば、と仗助はを見る。

「あんな風になってて、親はどうしてんだ?」
「……私の家、父子家庭なんだけど。パパはあんまり家にいないの。だから、新村くんとも、気があったの」

温い風が吹き、亜麻色の髪がの頬をくすぐる。





「パパはね……私の本当のパパじゃあ、ないの」





そういったの、寂しそうな笑顔が、仗助の心臓を大きく揺さぶった。

「きっと、好かれてない……ママがおいていっただけの、私のことなんて」
「…そんなサビシーこと、言うなよなァ」

仗助はの言葉に、自身の父のことや、億泰の父のこと、あるいは川尻早人のことを思い出したりしていた。

「わかんないぜ、そんなの。一度話し合ってみて、それからでもさ」

おせっかいだな、と仗助は思った。しかしは目を瞬かせると、小さく笑った。

「そう…かな。不思議、なんだか仗助くんが言うと、なんでもうまくいきそう」
「大げさっスねー」

そういって、2人は静かに笑いあった。









「君が、か?」

白いコートを着た背の高い男性が、下校中のに話しかけた。





「そうですけど…何か?」
「私は……君の、本当の父親について知っている。君は」





何か不思議な力を持っているんじゃないか。男――空条承太郎は、静かにそう問いかけた。
はそっと、首筋の星に手を這わせた。






(了)