「骸くん骸くん、何故君は此処に居るのかな」
「貴方が連れてきたんでしょう」

そうだったそうだった、最近、物忘れ激しいな、と彼女、は呟いた。
悪びれた様子は無く、無表情で、そう呟いた。





は並中生だ。
そして、あの、決して他人を許さない千種や犬でさえ、この間は一緒に話をして笑っていた。

出会ったきっかけは今は少し霞んでいるくらい、普通で単純なものだった。
それだけ、大したものではなかった。

犬や千種が楽しそうに笑って(あの千種でさえも)いるのに、何故か自分の顔は引きつりそうで、
多分、自分は決してあのようにならないという意識があったのだ。





他人は、決して近づけないと。





……それなのに、何故、自分は此処に居るのだろう。

ザザン、ザザンと、波が白い泡を立てて押し寄せる。
外国の、あの、綺麗なエメラルドをした海ではない。深い、群青だ。
今は日も落ちてきた。橙が全てを包み込んでいく。
緩やかな風は、髪を揺らして、少しうっとおしい。

「……何で、僕達此処に居るんですか?」
「やっぱりさ」
「(聞いてないですね)」
「会話が無いと、分かってるのにそういう質問しちゃうね」

足が疲れたのか、はよっこいせ、と言いながら砂浜に腰を下ろした。
砂は、さらさら、というより泥のようだった。
それでもは、真っ黒なワンピースに気を付けるでもなく、しっかりと座り込んだ。





今日は、朝から千種達に行ってほしい所が有ると言われて。
それから、その場所に彼女がいて。
そのまま呆然としていたら、手を引っ張られて、流されて、電車に乗って、バスに揺られ。

「(何をやっているのか)」

ハァ、と息を吐いた。
何もする事は無い。

千種達は仕組んだのだろう。そうでなければ、こんな都合良く……。

……に目線を向けても、瞬きをしながら、じっと夕日を見つめているだけだ。
顔は普通。整っているわけでも、崩れているわけでもなく。
真っ黒な髪と、茶色のはめ込まれた目と、黄色のような肌が、日本人らしい。

「うん」
「?」
「骸くん、私の名前呼ばない」
「は?」
「だって聞いた事無い……と思う」





唐突に、なんなのだろうか。





確かに、口で彼女の、の名前を呼んだ事はない。
無意識に、だ。きっと、長年の、固い固い警戒心が。

「今、一回でいい。呼んでほしい」
「一回でいいんですか。変わってますね」
「いいんだ、別に。変わってるってのも、結構耳ダコ」





僕は、の名前を呼ばない。





波の音が耳をくすぐる。
呼ぶことが出来ない。
喉の奥で、つかえている。

彼女は、湿気の含まれた重い砂を、指でなぞった。

「骸くんは、きっと犬くん達が好きなんだね」
「?」

眉間に皺が寄ったのが分かった。

「私と、犬くん達が話しているときは、きっと無意識だろうけど
眉間に皺寄せて、苦い顔をしている。
それで、私と目が合ったら、にっこり笑うんだ」





こんな感じ。





は目を閉じて、口角を上げた。

驚いた。は、彼女は気付いていた。
自分は、無意識でやってのけていたのだ。

ずっと、あの日から。

の指摘には、嫌味が無い。
ただ、そこに何かがあったから「ありました」と言っているだけのようなもので。

「嫉妬、という言葉って、結構恋人とかに使うけど、別に、全ての事に対して使える」
「僕が、嫉妬をしていると?」
「うん」

は、即答した。

こくり、と頷いたの目は、しっかりと夕日に向かっている。

「それで、」
「別に、好きになってって言わないけど、名前くらいは呼んで欲しい。
せめて、愛想くらい」
「……変わった人だ」
「だから、耳だこ」

彼女は、笑うけれど。
でも、違う笑みだ。犬や、千種に向けるのとは違う。

「僕の前では、中々笑いませんね」
「気付いたか」
「ええ」

こうして、しっかりと思い出せば、中々色々見えてくる。
彼女はこちらを向いて、先ほどのように「にこり」と笑った。

「骸くん骸くん」
「なんですか」
「これから仲良くなりましょう」
「……さっきと矛盾してませんか」

思わず、くすりと笑えば、がしっかりとこちらを見た。

「いいんです。利益がある友達だろうと、無かろうとそれは本人たちの自由であって
勝手に悪いとか決められるもんじゃない」
「……別に」
「?」

彼女の不思議そうな顔。
僕は何を言っているのだろう。
それでも、嫌ではなくて、止まらなくて。

心地よい。
何故だろう、前までは、ずっと。

「利益が無くても、今、僕は君と……と友達になりたいですよ。大体、利益があったとして、
どんな利益があるんです?」
「一緒に並んで美形の彼氏だと誇ってみる」

初めて名前を呼んだのに、は普通だった。

「……光栄ですね」

そう言うと、彼女は今、しっかりと笑った。こちらを向いて、
「へらり」と。

「!」

つい、心臓が跳ねた。
慣れていないから、心臓に悪い。

彼女はそんな僕に気付かずに、海を見つめた。
もう、日は落ちそうだった。

ゆっくりと、鼓動は静まる。

「海には、不思議な力がある。多分」
「そうですか?」
「今日、骸くんと友達になれたのも、海のお陰じゃないか」
「……」

彼女はぺこり、と頭を下げた。
僕もそれにならって、馬鹿馬鹿しいと思いつつも頭を下げた。

不思議な力があるのなら、次は、彼女を特別な僕の隣へ

ちょっといいもの、
つくりませんか

(骸さーん!)(あれ、犬くん達来たんか)(めんどいけどね)(クフフ、少し遊んで帰りますか)






08.06.27 heart palette