白い。
私の腕については、その一言に尽きた。
とはいっても、白磁の、とか、間違っても綺麗な表現ではない。
あえて言うなら、生白いといったところ。
暗い場所でも青い血管が透けていて、少し不気味ですらある。
その手をふむふむ、と眺めまわし、掌にポーズをとらせてみる。
何かを掴もうとする様、振りかぶって、拳、指さし、
それから手を開いて、結び、また開く。
掌がどこか軽く、空っぽに感じられた。
「……結局、何もつかめない、と」
そう一人で格好つけてから、恥ずかしくなった。
***
この学校の最上階にある理科室の隣は、空き教室である。
前までは、クラス委員長の会議なんかに使われていたけど、今はそんなこともない。
もう誰もこない教室。
誰にも気付かれない教室。
だから、自分の恥ずかしい発言に、顔を押さえて床を転げまわっても問題はない。
「……」
教室の床に寝そべったまま、周りを見渡す。
教室は一面、ほこりの薄化粧が施されていて、退廃的な雰囲気を醸し出している。
中途半端に閉じられたままの、薄黄色のカーテン。そこから差し込む光が、塵を幻想的に見せる。
教室上部に取り付けられた、テレビを固定するスペースにはテレビがない。
いつでもべたついていそうなロッカーには、いつのものかわからないくらい日に焼けたプリントが無造作に詰め込まれている。ちなみに私は、時々あれに落書きをする。
上半身を起こし、腕を使って床を移動する。
よくテレビに出てくる、不良の溜まり場かイジメの被害者が逃げ込んできそうな、そんな場所。
まぁ、そんなところにいる私は、つまるところ不良なんだろう。
よっこいしょ、よっこいしょと移動して、鍵もぶっ壊れている扉に凭れ、ぼうっとする。
最近、こうやってぼうっとすることが多くなった。
空気をかみつづけている気分というか、さっき呟いた、何かがつかめない気分というか。
「……」
きっと思春期特有のアンニュイさ、とぼんやりした気持ちを振り払い、目を閉じる。
全ての力を地面に帰化させる気分で、ゆっくりと眠りにつ「うえへっ!?」
がら、という音と共に、扉が、消えていた。
――倒れる!
そう思ったとたん、私の腕は、後ろへとつく準備をしていた。
肘が曲がり、床へと掌をつく――筈だった。
ぐにゅっとした。
「……?」
バクバクと心臓が鳴ったまま、私は後ろを振り向いた。
手の下には、少し輝きを失ったローファー。多分、ぐにゅっとしたものの正体。
「……、……?」見上げると、「……」「……」、なんか、仏像のイケメンバージョンっぽい人がいた。どうやらこの人が扉を開けたらしい。
「……」「……」とりあえずローファーから手をどかす。「……ごめんなさい」「……いや」
相手も私も、落ち着いているのか内心パニクっているのか分からない反応をする。
ちなみに私は後者だった。
心の奥底で、髪の長い女の幽霊とかじゃなくて良かった、と息を吐き出す。ホラーは苦手だ。
あー怖かった、とじんじんする目を閉じたり開けたりしていたら、その人が「サボりか?」と聞いてきた。……ふむ、冷静なタイプっぽい。私と違って。でも質問一つするにも、疑問が顔の表情を占拠している。探究心が強いタイプ(とか考察してみる)。
私は、探る目線を誤魔化すように笑って、手をひらひらと振る。
「あー、そうっス。サボり。言わんでね」
「……それは、いいが」
そういいつつ、眉を下げる仏像っぽい男子。いや、逞しいとかそういう意味の仏像じゃなくて。
目が、俗に言う糸目っぽいっていうか。ていうか閉じてる?見えてるのかなそれ。
仏像男子という言葉の釈明が疑問に変わる頃、その男子は教室に入り込んできた。
上手い事、私の横をすり抜けてだ。私邪魔だったな。
ていうかこの人、なんでここにいるんだ?
そう思いつつ、その男子の背中を中心に見まわすと、手に何か持っていた。プリントの束かな。
私の推測からして、理科のプリントだと思う。ここは理科室の隣だし。あと、何か手にリストバンドみたいなものをはめている。
いろいろぬぼーっと考えていたら、その男子はこちらを振り向いた。私を見つめる。いや、見つめてる気がする?わかんない。瞼しか見えない。
何も言わないので、私はすこしへらへらしながら質問する。
「……何?あ、君もサボりにきたの?」だったら仲間だ。「いや、そうではない」「……」まぁそうだろうな。真面目そうだもんな。
その男子は続けて、「ここは、」と言いかけて噎せた。
ごほごほ、と景気よく咳き込んでから、最後に喉を鳴らして締める。「……ここは、空気が良くない」顔をしかめていた。
確かに、常にマイナスイオンとか吸っていそうな顔ではある。むしろ空気を浄化していそう。
「ああ。なるほど」
「窓を開けたらどうだ?」
「ヤだ」
提案を即却下する。
この埃めいた空間が気に入ってるの、と言ったら変な奴に思われるかもしれないので、理由を口にするのは避けた。
ちなみに黴臭い図書室とかも好き。
光は、いらない。邪魔だし、眩しい。
「……そうか」
少し不思議そうに、私を見遣る男子。女子だったら埃嫌いそうなのにとか思ってるのかな。椅子の足をじっと見つつそう考える。
ふと、その男子の顔をもう一度見て、何かひっかかりを覚えた。
さっきからこの背格好が、どっかで見たことある。何だっけ。あー、もやもやする。
額を押さえて、失礼だが指をさして質問してしまう。
「……アンタさ、名前なんだっけ」
「ん?柳蓮二、だ」
「やなぎ、れんじ……」
……お。……おお。おおー。
つっかえが取れて、思考がぐるぐると回りだす。
思い出した。思い出した。
思わず、何回も頷く。
「……あー……そうだそうだ、思い出した、テニス部だ」
ウチの学校、テニス部が強いから覚えてる。
校内新聞とかで見たな。じゃあ同い年だ。
「そういうお前は、か」
さらっと、自分の名前まで名乗られた。驚いて思わず声が漏れる。
「……なにゆえしってんの」
「……ふ、データ収集が趣味だからな」
少し得意げな顔をして、柳は口角をあげる。いや違うか、知ってて当たり前だ、って顔だ。
……どう反応すればいいんだろうか。一体どこまでのデータを把握してるのか。思わず、生ぬるい気持ちになる。
「……なんかすごいね、って褒めとく」
「それはどうも、と受け取っておくのが礼儀か」
カイロに残ったぬくもり程度で感心すると、柳もそれに合わせてくれた。
頭が良い感じの返事だ。というか実際、この人は頭がいいんだっけ。
だけど、嫌味な感じはしない。ちゃんとそういうことも考えているんだろうな。
思わず、顔が緩む。「それはどうも、が似合わない」
そう返すと、柳もそう思ったのか口元を緩めた。
基本的に目が見えないから、表情のベースが口元、あるいは眉だ。
柳が扉に向かって歩き出したので、私は振り返る。
「それじゃ」
「ああ、じゃあな」
手を振り、柳を見送る。
柳が角を曲がったところで、私も頭を教室に引っ込めた。
「……」
口の端から、ふふ、とか、ひひ、という不細工な笑い声が漏れた。
ああ、痒い。むず痒い。でも、嫌いじゃない。
なんというか、人と話す、いや、異性(しかもイケメンだった、どうしよう)と話すのが久しぶりだったから。
ちょっと、どきどきしたっていうか、わくわくしたっていうか。
ああ、今日は良い日かも。
またこないかな、と期待して、幸せを逃さないように、体を曲げてひざを抱えた。