背中にリボンを背負っている
「せんせえ、さんが倒れた!」
クラスで一番声の大きい女子が叫んだのは、火曜日の4時限目の体育の授業中であった。
その時クラスメイトとサッカーに勤しんでいた仗助は、思わずボールを蹴り損ねて、反対側のグラウンドにいる女子のサッカーチームを振り返った。
行き場を失ったボールは転々と転がっていったが、誰も仗助を咎めずに、むしろ女子のほうへどやどやと野次馬をしにいった。
仗助も駆け寄ってみると、担任の女性教師が顔を真っ白にしてを抱き上げ、声をかけていた。
の顔は女性教師とは対照的に真っ赤で、今にも湯気が出そうだった。そんな中で必死に、は女性教師の声にぼそぼそと答えていた。
そこで仗助は初めて、の弱弱しい姿を見た。
「です。よろしくおねがいします」
は、年度の初めに杜王第一小学校に転校してきた生徒だった。背をぴっと伸ばして、声はロボットみたいにかくかくしていたので、誰から見ても緊張しているのがわかった。
数日経ってわかったことは、先生がほめるように苦手ではあるが勉強をがんばっていること、そして見た目よりスポーツ万能であることだった。
は見るからに学級委員長という感じの顔立ちをしていて、けれどもあんまり目立ったりはしなかった。
仗助の印象も、真面目そうな女の子だな、だった。
「おれ、保健室までおぶります」
保健委員の仗助は力強い声でそう言った。自分も昔熱を出して、それをリーゼントの少年に助けられたこともあり、仗助は人一倍人助けをしたし、皆も仗助を頼りにしていた。仗助は半ば強引にを背中に引っ張っておんぶした。握った手首は熱かった。女性教師がおろおろと「大丈夫?」と問いかけながらも立ち上がり、保健室まで付き添った。
仗助がを保健室のベッドに寝かせると、養護教諭が体温計を持ってきての脇にはさんだ。それから冷却ジェルシートを持ってきて額に貼った。
養護教諭が用紙にさっと体温を記入し、薄緑色のカーテンをひく。
「東方くん、先生達ちょっとさんのご両親に電話したりするから、保健室で待っていてくれる?」
「はい」
担任教師は深刻そうな顔で養護教諭に耳打ちしながら、保健室を出て行った。
人が倒れたので、さすがに仗助もどきどきしていて、ふーっと息を吐きながら保健室の丸イスに腰掛けた。
それから、の膝裏を掴んだ手のひらを開いたり閉じたりする。の足は熱かったし、首の辺りに吹きかかった息も、弱いのにとても熱かった。
驚いたのは、思ったより身体が小さかったことだ。いつも大人みたいに落ち着いているので、少し同い年という感じがしなかったのだが、今日の出来事で、むしろは年下みたいだと仗助は思った。
丸イスのキャスターで座ったまま移動しながら、仗助はカーテンの隙間から顔を突っ込んだ。
ふーふーと苦しそうな息の音がしていて、仗助は顔をしかめた。
しばらくすると、4限が終わるチャイムが鳴って、廊下に昼ごはんの匂いが漂いはじめた。1年生が食缶や瓶牛乳を運ぶ騒がしい音が扉の向こう側からする。
仗助のお腹も情けないことに少しだけ鳴った。それから、そういえば自分は給食当番だったということを思い出した。
突然保健室の扉が音を立てて開いたので、仗助は思わずイスごと後ろに飛びのいた。
そこには顔に傷のある男性と養護教諭がいた。
「悪いな先生、の親は今ちょっと出先でよ」
「いえ、そんな…ああ、こちらです。東方くんありがとう」
仗助は男性の相貌に少しひるみながらも、ベッドの側から離れた。男性は「坊主がを運んでくれたのか? ありがとよ」と言ったので、仗助はなんとなくぺこぺことお辞儀をしてしまった。
養護教諭がカーテンを開けると、真っ赤な顔のがあらわになる。
男性はベッドの上のに近づいて口を開いた。
仗助に向けた顔も優しかったが、その数倍優しそうな顔をしていた。なんとなく、大切にされているんだな、と仗助は思った。
「、帰るぞ。病院にいって薬だけ貰ったら、もう家に帰ってグッスリ眠るんだ」
がゆるゆると目を開けて、小さくうなづいた。その顔が少し微笑んでいるのを見て、仗助は驚いた。
なぜなら、今まで、の笑顔を見た覚えがなかったからだ。
「東方くん、さんのランドセル取ってきてくれる?」
養護教諭に声をかけられて、仗助ははっとした。それから返事をして、弾丸のように保健室を飛び出た。
傷の少ない綺麗なランドセルに、とりあえず机の中身をすべて詰め込み保健室へと舞い戻ると、は男性におんぶされていた。
大きな背中で眠るは、仗助におぶられていたときよりも安心しているように見えた。
結局その日仗助は、昼ごはんを数分でかきこむこととなった。
「東方くん」
かぼそい、けれども真っ白でよく通る声で話しかけられた仗助は後ろを振り向いた。
数日前、熱を出して倒れたが、少しもじもじしながら立っていた。
「この間、おぶってくれて、ありがとう」
「大丈夫だぜ。さんはもう元気?」
「うん。薬飲んでるけど」
やわらかい表情ではあったが、数日前の微笑みが嘘のような顔で、はそう言った。
仗助はぽりぽりと頬を人差し指でかきながら、「あー、あのよォ」と口を開いた。
「こないだ来てた人、誰? 兄ちゃんじゃないだろ?」
「……」
「アッ、いや、ちょっと気になったんだ! 最初恐い人かと思ったけどォ、なんつーか優しくて、カッチョイイよな!」
が眉を八の字にしたので、仗助は慌てて取り繕うようにそう言った。
すると、は少しだけ目を丸くした。
「……本当? 恐くない?」
「お、おう」
仗助がそういうと、はにっこりした。
仗助は思わずその笑顔に、口をぽかんと開けた。
「スピードワゴン、気にしてたから。かっこいいっていってくれて、ありがとう」
「そのスピードワゴンさん? って親戚?」
仗助がそういうと、は少しだけ考えて、「親の知り合い。仲良くしてるから、親戚とおんなじ」と答えた。
仗助は深く考えずに納得した。それから、何気なく思ったことを言った。
「そっか。すっごく仲よさそうだもんな」
仗助の言葉に、は再びにっこりした。
今度は仗助も口を閉じていたが、少し赤面したし、鼓動も早くなった。
仗助は思わずスピードワゴンを褒めちぎりそうになった。そうすれば、の笑顔がもっと見られると思ったからだ。
けれども無情なことに、休み時間の終わりを知らせるチャイムが鳴って、仗助ははっと我に返ったのだった。