花と恐竜
その日ディエゴ・ブランドーは、たった1秒で恋に落ちた。
「(シーザー、まだでしょうか)」
は鞄を持ち直しながら、腕にはめている華奢な腕時計で時間を見た。淡いピンクゴールドのそれは、スピードワゴンが高校の入学祝いにに贈ってくれたものだ。
つい一週間前、シーザーから一緒に夕食でも食べないか、と誘われて、特に予定もなかったは2つ返事をした。
大学の正門で待ち合わせることにしたが、授業が終わっていないのか、シーザーはまだいない。
ふう、とため息を1つつきながら、は門の横にもたれかかった。
しかしふと、前方辺りから視線を感じて、は顔を上げた。
そこには華やかな顔立ちの、そしての尊敬する人にちょっとだけ似た青年が、グリーンのロードバイクを押したまま静止し、を凝視していた。
は青年の顔立ちに少しだけどきりとしたが、かの人ではないとすぐに気付いて首をかしげた。青年はすばやく目線を逸らした。はますます首をかしげる。
しかしはそこで、「(ああ、制服姿だからですかね)」と合点して、気にしないようにした。
青年はくるっとに背を向けると、もたつきながらロードバイクに飛び乗って、ふらふらした軌道を描きながら去っていった。
そんなわけで、彼のことはの脳内の隅っこへと追いやられたのであった。
さて、の視線から逃れた青年、ディエゴ・ブランドーといえば、先ほど危うく車輪をもたつかせて派手に転倒するところであった。
それほど彼の動揺は大きかった。
彼の中には「ようわからんがカワイイ」という感情だけがただひたすらひしめいていた。要するにひとめ惚れだった。
しかし、いつもは乙女の初恋を奪っては捨てを繰り返していた彼からすると、ありえない体験であった。
この天才ディエゴ・ブランドーが、とややナルシスト気味にわけの分からない弁明をしそうなほど、彼には衝撃が強かった。まるで一筋の強い稲妻が、彼の脳に直撃したようだった。
ディエゴの頭の中には、あの制服はぶどうヶ丘のだ、とか、誰かの知り合いか、とか、様々な情報が恐ろしいスピードで繰り広げられていた。
そしてそれが一瞬ふっと止んで、先ほどのの様子が思い出される。
目を伏せて時計を見る様、とんと背中を壁に預ける様、いったいどこにかわいらしさがあったのか全く分からないが、ディエゴの中ではそれがとても「かわいい」様子に映ったのである。
そうやってのことを思い出すと、途端に平静ではいられなくなった。かーっと熱が上がってきて、体内で怪物がのた打ち回るような悶絶があった。
そしてそのたびに、ロードバイクのハンドルを切る手が狂った。
ディエゴはその日、「果たして車に轢かれずに帰宅できるか」という別のドキドキにも支配されながら、20分間自転車を漕いだ。
まるで自分の身体がのっとられたようだったと、ディエゴは後に語る。
さて数日後。はいつものように、ジャイロに勉強を教えてもらいにSBR大学へと足を運んでいた。
シーザーとの待ち合わせた日のように待つこともなく、ジャイロと、そしてジョニィと合流し、は小さく微笑んだ。
問題はここからだった。
ようやく初恋熱が沈静化してきていたディエゴはその日、天敵とも呼べるジョニィの背中を視界に入れ、思わず苦い顔になった。
それからまた皮肉げに口角を上げ、いつものようにからかって帰るか、などと底意地の悪いことを考えて、ふと顔をあげた瞬間。
ぱちっ、とジョニィの向こう側にいると目があったのである。
大学内では非常に目立つぶどうヶ丘の制服と、眼鏡。間違えるはずもない。ディエゴは名前を知らないが、だ。
も目があって少ししてから、あ、という感じで口を開いた。
なんという偶然というか、いったいなぜまたここに。ディエゴの頭の中は、疑問と、どうやって話しかけたらよいか、そのことでいっぱいだった。
お互いに見つめあい、も失礼だとは思いながらも、相手がこちらを凝視しているので目線を外せない。
ふと、話をしていたジョニィとジャイロが、がどこかを見ていることに気がつき、ディエゴの方を振り返った。
ディエゴに気付いた途端に、ジョニィが渋い顔をし、「ゲッ」といったので、は少し驚いた。
ディエゴがぽかんと3人を見つめていると、車椅子に乗ったままのジョニィが、の袖を引っ張って何かを言い出した。がちらちらディエゴの方を見ている。
ディエゴは胸中で、「(おい、まさかあることないこと言ってないだろうな!ジョニィ・ジョースター!)」と叫ぶ。しかしあることないことといっても、ディエゴの性格が悪く、ジョニィを執拗に苛めていたことも、いまさら取り返しのつかないことだ。
あわてて3人の輪に入ろうとしたが、結局3人はディエゴに背を向けて歩き出してしまった。は少し振り返って、申し訳なさそうに頭を下げていたので、どうやら悪い印象があるわけではなさそうだった。ディエゴはほっと一息つき、その場に立ち尽くした。
しかし、しばらく歩いてから、ジョニィが後ろを振り返った。とジャイロは話していて、ジョニィが一時停止したのに気がついていない。ジョニィはにやりとあくどい顔で笑うと、勝ち誇ったようにディエゴを鼻で笑った。
――自分が彼女に好意があるのがバレている。
勝敗はないけれども、いつもジョニィを見下し、勝ち誇ったつもりでいたディエゴは、そこで初めて敗北感のようなものを味わった。
その夜、無心になろうとレポートを制作していたディエゴは、はっと閃いた。
――そうだ。なんの繋がりもないと思ったが、“ジョースターくん”という“友達”がいるじゃあないか!
ディエゴはにたにたしながら、すばやくと知り合いになる算段を立てた。それからひとしきり満足すると、再びキーを叩き始めた。
帰宅したディオが、満面の笑みでタイピングをするディエゴを訝しげに見ていたが、ディエゴは気付かなかった。
そしてまた、よもやそのディオが、の憧れの人であるなどとは、ディエゴはもちろん、気が付かなかった。