からんからんと、下駄が石畳を打つ。
淡い色の浴衣の袖が、黄色い光に透ける。
風呂敷バッグを持った右手は、少し熱い。

京の夏の夜は、まだ始まったばかりであった。





「きーんぞーうくーん、あっそびましょー」

通りから、志摩家へ大きく声をかける。すると家の中から、どたんどたん、と音がして、
少しげっそりした甚平姿の金造が、団扇を片手に出てきた。

「おまっ……突然なんやねん!」
「飲みに行こう」
「はァ!?」

どうせ今晩暇でしょう。
平然とそう言い放つと、金造はうっすら青筋を立てながら、団扇をぱたぱた仰いでいる。
それから派手な金髪をかきむしり、「連絡くらいよこせやだアホ」と私をなじる。

それにちょっと腹が立ったので、私はきわめて冷静に声をかけた。

「金造くん、ちょっと携帯見てみなさいな」
「あ?何や」

甚平のポケットをあさり、金造が携帯を取り出す。それから少しして、「あ、」という声が聞こえた。
ふん、と鼻を鳴らし、私は普段あまり使わない関西弁をむき出しにした。これはただの威嚇である。

「携帯の電源きっとんのに連絡よこせとはええ度胸やないかい、ええ、金造?」
「す、すまん……堪忍!」
「5回は電話した。分かったらさっさと支度!3分ね」
「ちょ、ちょおまっとれ!」

そういって金造は、私に団扇を押し付け、再び家の中に引っ込んだ。
私はそれで、首のあたりを仰ぐ。

京都は夜涼しいほうだが、さすがにここまで歩いてくると汗もにじんでくるなあ、とぼんやり考えた。





柳の葉がゆらゆらと揺れるのを眺めながら、私と金造は歩いていた。

「どこ行くん」
「んー、適当。はしごしよっかなと」
「げっ」

長財布をポケットに突っ込んだ金造は、少し苦い顔をしていた。
ちなみにその長財布は、金造の20歳の誕生日にくれてやったものである。

私はにっこりと笑顔を見せた。

「大丈夫、日付を超えるつもりはないから」
「大概にせぇよ。自分けったいなのに絡まれんで」
「未だに私に体術で勝てない金造に言われたくないな」

金造はぐ、と押し黙る。勝った、と私はほくそ笑んだ。

金造とは長い付き合いで、喧嘩もよくした。というか金造が短気なのが悪いのだが、つい負けず嫌いな自分はすぐ喧嘩を買ってしまうのである。

ちなみに金造が本気を出しても、私に勝てたことは無い。大概金造がぼろぼろである。
まぁうちの家系が、珍しく体術に特化したところだから仕方がないといえば仕方がない。

「そないな浴衣着てても動けるん?」
「余裕」
「おっそろしいやっちゃなあ……」

おおこわ、と言いながら金造は腕をさするふりをする。私はそんな金造を肘でどついた。





それから二人で、少し安っぽいお店に入り、お座敷にあげてもらった。
大きなついたてが部屋を仕切っており、向こうからは馬鹿騒ぎの声が聞こえる。

「夏はビールだなぁ。外出てよかった」
「なんやあったんか?」
「今日暑かったじゃない?なのにやることあってさあ、終わったころには4時で汗ひどいしくったくた」
「ほー」
「……でもなんか疲れたら逆に外出たくなってさ」

室内で作業しすぎて、開放感を求めていたのかもしれないなあ、と思いつつ、ビールに口をつける。
金造は小さく苦笑していた。

「あるでしょ?もうくったくただけどなんかしたいみたいな」
「あるある、ありますわ」

お座敷で対面しながら、ビールを飲む。
向かいに座る金造もビールを飲んでいる。

メニューを見ながら、私は頬杖をついた。

「ポテト食べたいなー。どうしよ」
「ちゃんと食べえ」

そう言いながら、金造がメニューを反対方向から覗き込んでくる。
見にくいんじゃないかと思ったが、写真が載ってるしいいかと自己完結した。

「おなかすいてないんだよね」
「オレから揚げとー」

金造はちゃんと食べるのか。というか金造は食べ方が汚い。
こいつとは絶対にレストランとか入りたくないなあと思った。まぁキャラじゃないし入らないとおもうが。せいぜいファミレスどまりだ。

ふと突然、ついたての向こうからハッピーバースデーの大合唱が聞こえてきた。
誰かは知らないが、誕生日らしい。

”ハッピーバースデートゥーユー!”
「……はっぴばーすでーとぅーゆー」

ぼそっと歌ったら、金造が噴き出した。
笑いをとどめられないまま金造が話しかけてくるので、真顔で答える。

「なん歌ってんねやおま、えっ、ぶっ」
「いや聞こえてないだろうし。金造も歌いなよ、ボーカルでしょ」
「やかましわ」

そう会話する間にも曲は続く。

”ハッピーバースデーディア”「「はっぴーばーすでーでぃあ」」

なんとなく2人で歌ってしまう。
それから少しためて、

”トシコちゃーん!”
「ぶっ、誰やねんトシコ」
「さあ」

曲が終わると盛大な拍手が聞こえてきたため、私たちも便乗して拍手した。
へらへらしながら、小さくおめでとー、と言っておいた。

ひっひっ、と少し涙目の金造が笑いをこぼす。





「あーおもろ」
「ねー」





そういって二人で笑い転げるのを我慢していたら、またもやハッピーバースデーが聞こえてきて、我慢できずに噴き出した。
どんだけ誕生日の人がいるんだ。





「ふいー、あつぅー」
「次でラストね」

金造は持っていた団扇で自分を仰いでいる。

はしご記録を更新しようかと思ったが、思ったより疲れていたので3軒でやめることにした。
ちょっと顔がほてっている気がして、目をつぶって顔を少し前に突き出す。

「私も仰いでよ」
「ん」

短く返事した金造が、私に向かって団扇を仰ぐ。ついでに風呂敷バッグも持ってもらった。
ぱたぱたという音と、かすかな風が気持ちいい。

「なんや迷い無く歩くな」
「最後は特別なところー」

そういって、どんどん歩いていく。
にぎやかさが少し収まったあたりに、そのお店はある。

お店を見上げる金造を引きつれ、引き戸を開ける。

「いらっしゃいませ!お二人さまですか?」
「あ、なんですけど」
「あ、少々お待ちください!」

そういって、店員のお姉さんは奥へ引っ込んだ。
後ろからふらふら付いてきた金造が、不思議そうに首をかしげる。

「予約しとったんかいな?」
「や、違うよ」
「?」

そこで先ほどのお姉さんがやってきて、私たちは階段を上がっていった。





「うぉー……ええとこやん!」
「でしょー」





そこは最上階の、縁側のある部屋だった。

外に出ると、微風が髪を揺らす。目の大きい格子から、ぼんやりした景色が見渡せた。私たちが通ってきた通りも見える。京都は空も広いし、なかなかいい。
縁側の突き当たりには、灯篭がおいてあった。

格子に手をかけながら、金造はまじまじと景色を見ている。

「一階も外は見えるんだけど出れないのよねー。ここはなんか花火とかみえるらしいよ」
「何でこないなええとこしっとるん?」
「いや、前ちょっと仕事でね。ここは一般開放してないらしいから」
「VIPやん!」

そう言いながら金造ははしゃいでいる。今度は花火のある日にこよう。
お酒とおつまみを持ってきた店員さんが、それを室内のテーブルにおいて、にっこり笑いながら静かに出て行った。

「さ、絶景を前に飲もうか」
「おー、飲もうや!」

丸いイグサの座布団に腰を下ろし、2人で乾杯する。
滴が、きらりと光って落ちる。

「はー……静かでええわあ」
「ね」

下からは小さな喧騒が聞こえてくる。
それを見下ろすようにしているから、仙人にでもなったかのような不思議な気分だ。





枝豆を食べながら、私は口を開く。
静かな場所では、回顧に浸りたい。





「私たちも大人になったんだね」
「ん?」
「私、絶対大人になれない気がしてた」
「あー……、結局20になるまできっちり酒のまへんかったよな」
「ちょいちょい飲んでた誰かさんとは違う」





そう言いながら、空になった枝豆のさやを空の竹ざるに入れる。

「でも自分強いな?酒」
「ウチは体育会系だし全員強いよ。たぶん皆ザルじゃない?
金造も意外と強いよね?」
「二日酔いんなる」
「どんまーい」

小さく笑いながら、少しぬるくなったビールに口をつける。
夏の夜に刹那感を覚えるのは、私だけだろうか。





「金造もお酒飲めるようになっちゃってさ。なんかもう、あのころとは違うんだな、私は」
「……せやな」
「絶対自分は変わらないと思っていたのに、気がついたら変わってて驚いちゃう」





学生のころの私を思い出す。そういえば金造のことを短気だなんていったけれど、私も大概そうだった気がする。
今は口喧嘩で済む。というか、金造を打ち負かす術を知った。





でも逆に考えてみると、それだけ金造と長くいるんだな。確かに、どんな女友達よりも長くいるし、気兼ねない。





「まぁでも案外、大人も悪くないかな」
「堂々と酒のめるしな」
「金造と夜ふらつくのも自己責任だしねえ」

あはは、と小さく笑う。

私たちはまたハッピーバースデーを歌って、そして知らないうちにどんどん変わっていく。
金造も、知らないうちに変わっていく。もちろん、私も。
それはまだ未知数で、様々な感情が混じるけど。

私は今一度、金造との腐れ縁をぎゅっと結びなおすことにした。





「いろいろ変わってしまうけど、金造との関係が終わらないことだけは、祈る」
「……オレも」





そういって二人で、もう一度、今度は静かに乾杯した。
二人で照れ笑いしながら、ビールに口をつける。

それからは少し、心地いい沈黙が降りた。






「ねぇ、金ぞ」
「なぁ
「あ、はい、何?」





くすぐったい気持ちを隠して金造に話し掛けようとしたら、金造はひざに手を置いたまま、まっすぐ私を見つめてきた。
それがさっきまでまとっていた雰囲気と違い、少し首をかしげる。
というか声をかけたのに、金造は私を見つめたまま、何も話そうとしない。

不思議に思って、口を開こうとしたときだった。





「好きや。つきおうてくれ」





「は、」





「好きや。結婚してくれ」





思わず、手に持っていた枝豆が滑り落ちた。
さっきまで真剣だった金造の顔は、今は酒でもそうはならないだろうというくらい真っ赤にそまっている。





「え、好き、て」
「たのんます!」
「ちょ、土下座しないで」





土下座しだした金造の肩を持ち上げようとするが、うまくいかない。
酔ってるんだろうか。そんなまさか。





「酔ってるの?」
「酔ってへん……けど、今じゃないとよう言わん」





そう情けなく言った金造に、思わず脱力した。つまり酒の力を借りてるんじゃん。





「嘘とか冗談じゃないの?」
「嘘はいわん」
「私のアイス食べた?」
「……食べました」





うわ、本気か。
そう思って、私は額に手を当てた。





別に金造きらいじゃない。
ていうか突然だったにせよ、少しうれしい自分がいる。





「普通、こんな場で言わないよ」
「……」
「酒の場で……かっこわる」
「うっ」





頭を下げている金造が、多少ショックなのか小さく肩を揺らした。それがかわいくて、少し顔がにやけてしまう。
いかんいかん。声色には出すなよ。





「結婚は言い過ぎ」
「……オレも思った」





でもそれでもええねん。
そう言った金造に、「頭上げないともうしゃべんないよ」と言った。すると驚くべき速さで体勢が直った。危うく頭と頭が衝突するところだった。

顔を上げた金造の目は、少し潤んでいた。





「付き合っても、いいよ」
「えっ」
「ただし」





私たちは大人になった。
責任があるし、変化もいとわない。けれど。





「私に、勝てたらね」





今はまだ、どきどきしたままでいたいから。

そう笑顔で言い切った私に、金造は「一生無理やん……」と頭を抱えた。
別にいいよって言ってあげてもいいけど、それじゃ面白くない。

「どうせ勝てなきゃ我が家の敷居は踏めないよ」
のおとんおっかないもんな……」
「そゆことです」





だから、早く私に勝ってよ。





そう言うと、金造は目を瞬かせ、また一瞬で顔を真っ赤にさせた。