シュテルンビルトの夏は暑い。
じりじりと焼け焦げるアスファルトの熱を感じながら、私はサンダルを滑らせる。

暑さに参っているのかは知らないが、最近はあまりHERO TVもやってないなぁ。
まぁ、平和ならそれに越したことは無いけれど。

カンカン帽子のつばをつまみながら、そういえば時間を確認してなかった、とスマホをバックから出す。
ロックをといて、ネットに接続し、上映時間を確認する。

「まだちょっと時間あるから、チケット買って暇潰さなきゃ」

そうつぶやきながら、むき出しのうなじがじりじりと照らされているのを感じる。日焼け止め塗っておいて良かった。





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映画館に入り、真っ赤な絨毯を踏む。館内はひんやりしていて、薄暗い中を白熱灯が照らしている。
ヘリペリデスファイナンスのビル近くのこの映画館が、私は一番好きだ。

受け付けに行こうとして、そこで私は思わず声を漏らした。

「あれ、イワンくん?」
「え?」

振り向く彼。やっぱりイワンくんだ。
私は嬉しくて、彼に駆け寄った。

「こんにちは。偶然だね、こんなところで」
「あ、こんにちはさん……」

イワンくんは私から目をそらしながら、後頭部を掻いている。
私はそんなイワンくんをにこにこしながら見ている。いつも思うけど照れ屋さんだなあ。

すると受け付けのお姉さんが、お客様、とイワンくんを呼んだ。

「14時10分からの、H14のお席でよろしいですか?」
「あ、はいっ」
「シアター5になります」

あわててイワンくんがチケットを受け取る。それからチケットをポケットに突っ込み、彼は私に向き直った。
そういえば14時10分て、私が見るのと一緒の時間だ。

「何見るの?」
「え、と……」

恥ずかしそうにした彼は、ポケットからチケットをもう一度出し、私に見せた。あれ。

「……これ、私も見るやつだ」
「!」
「ねぇイワンくん、一緒に見てもいい?」
「えっ、あっ」

こくこくとうなづくイワンくんに、私はうれしくなった。
受け付けに行き、チケットを頼む。

「お席はどの辺りになさいますか?」
「ええと、」

イワンくんを振り返ると、「Hの、14です」と言われたので、「Hはあいてます?」と聞く。

「H列なら11、12、13の三席が空いてます」
「じゃあ13で」

そういってチケットを発行してもらう。
ふとイワンくんを見るとぽーっとしながらこちらを見ていたので、手を振る。するとはっとした顔をして、うつむいてしまった。あらら。

受け取ったチケットは、熱を持って熱かった。

「お待たせ!」
「あ、いえ、すいません」
「なんで謝っちゃうの」

ふふ、と笑みがこぼれてしまう。

「ね、それよりさ、イワンくんお昼ごはん食べた?」
「あ、まだです……」
「じゃあさ、一緒に食べよう!」

そう言って両手を取ると、うつむいたイワンくんがぱっと顔を上げた。
顔は赤い。照れているのだろうか。

「あの、えっと」
「イワンくん、何食べたい?」

戸惑う声を無視して(ごめんね)聞くと、イワンくんは少し考えてから「和食……が食べたいです」と言った。

「オッケー。私いいお店知ってるから行こう」
「は、はい!」

少しうれしそうに笑ったイワン君に、私も笑い返した。





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「ここです」
「うわぁ……」

隠れ家的なお店にイワンくんとやってきた。
食べるの大好きな私をなめてはいけない。ここは穴場だけど、おいしい和食が楽しめる珍しいレストランなのである。

映画のチョイスからして、イワンくんは和風がすきなんだろう。
そう思ってこのお店にした。ここは店員さんも着物着てるしね。

イワンくんは感極まったように店内を見渡している。

「何名様ですか?」
「二人です」

そう言って、禁煙席に通してもらう。
二人で掘りごたつに腰掛け、イワンくんにメニュー表を渡す。私もメニュー表を開く。定食にしようかな。

「何食べようかなー」

ちらっとイワンくんを見ると、目がとてもキラキラしていた。可愛い。
思わずにやけそうになってしまい、あわててメニュー表で口元を隠す。

目は口ほどにものを言うとは、確かにそうだ。





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「おいしかった?イワンくん」
「はい、とっても!」

さっきまでのおどおどした雰囲気はどこへやら、イワンくんははじけるような笑顔で首肯する。
ふふふ、と笑うと、イワンくんはぎくっとしたまま少しおとなしくなってしまった。

「どしたの?」
「いや、ちょっとはしゃぎすぎてたので……」
「そう?」

気にすること無いのになぁ。もっと堂々としてれば、可愛いよりかっこいいと思うのに。
そんなことを考えて、私は一人微笑んでいた。





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「始まるまでまだちょっとあるし、ショップでも見ようか」

そう言って、映画館内のショップに二人で入る。
パンフレットか。買おうかな。

「んー……」
「……買うんですか?」

後ろから身を乗り出して、イワンくんが聞いてきた。耳元でしゃべられたので、若干びくついてしまった。

「どうしようかなって。映画見てからにしようかなあ」
「あの、僕……買うって決めてるから、良かったら、一緒に」

見ませんか……と尻すぼみになっていく言葉を続けるイワンくん。
私は少しきょとんとした。

「いいの?」
「あの、良ければ、ですけど」
「ありがとう!」

イワンくんは眉を下げて、いえ、と小さくつぶやいた。けれども口角は上がっているから、照れているだけだと確認。

結局その後は、イワンくんがパンフレットを、そして二人で手裏剣の形をしたストラップを買った。




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たしかシアター5だよね、と思いつつ館内地図を見る。

「すぐそこだね」

二人で飲み物を片手に歩き、シアター5に入る。
薄暗い空間に浮き上がる真っ白なスクリーン。なんでこうも、映画館はどきどきするんだろうか。

二人で階段をのぼり、Hの列に移動する。
後ろのほうの端だから見やすそうだ。

席に腰を下ろし、飲み物をセットする。

「ふふ、楽しみだね」
「はい」

そわそわと時計を確認するイワンくんは可愛い。私も時計を確認。あと十分くらいかな。
スマホの電源を切り、私はイワンくんに話しかける。

「ねえ、この映画好きなら前のあれも見た?」
「?」
「前のー」

そう言って映画のタイトルを挙げると、イワンくんはこくこくとうなづいた。
やっぱり見てる。

「あれすっごいよかったよね!ラストのバトルがすっごい良かった」
「確かに……あと僕、割とはじめの、パートナーと衝突してバトルするシーンが」
「あれいいよね。なんかあの後二人の絆が深まった感じするもん!」

するとイワンくんが、じゃああれは、とまた別の映画を挙げる。
私は、それは評判しか聞いてない、どうだった?と聞き返す。

するとイワンくんは、クライマックスの展開だけを避けながら、器用に感想を述べてくれた。

そうして二人で盛り上がりながら話していたら、ゆっくりと照明が消え始めた。

「あ、始まるね」
「はい」

もう一度椅子にしっかり腰掛けなおし、私とイワンくんは前を向いた。





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物語はいよいよ大詰め。
ぼろぼろになった主人公が、決して屈しない精神で立ち上がる。

そんなシーンで、ふと、隣のイワンくんがきょろきょろしているのに気がついた。

「?」

どうしたのだろう?
そう思っていたら、彼は私を見て、数秒停止したあと、小さく「ごめんなさい、」とつぶやいた。

何が、と思っていたら、イワンくんは席を立ち、走ってシアターから出て行ってしまった。

呆然とする私の脳裏には、「ごめんなさい」とつぶやいたイワンくんの、真剣な表情が焼きついていた。





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結局イワンくんは、エンドロールが流れても戻ってくることは無かった。
私も私で、肝心のクライマックスシーンの記憶がぼんやりしている。

二人分の紙コップを持ち、シアターの外で待つ。
人が全員出払っても、イワンくんは帰ってこない。

私の頭の中ではまだ、あの表情がぐるぐるしていた。
見たこと無い表情だったな、と思いつつ、目線を床に滑らせる。

さん!」
「!イワンくん……」

息を切らせた彼が、私のほうへやってきた。
なんとなく、戻ってきてくれた彼に安心してしまう。

「良かった。帰っちゃったかと……」
「ごめんなさい!本当に、すいません!」
「い、いいよ、頭上げて?」

顔を上げた彼は、また私から目線をそらし、本当に申し訳なさそうな顔をしていた。
ああ、そんな顔させたいわけじゃないんだよ。

「突然、どうしたの?具合悪かった?」
「ちょっと……」

そういいよどむ彼は、泣きそうな顔になっていた。
聞かないほうがいいかと判断して、私は話を少し変える。

「あのさ、イワンくん、クライマックス、見られなかったでしょう?」
「?」

首をかしげるイワンくんに、私は安心させるように笑う。





「とっても面白かったから、私もう一度見に行きたいんだ。だから良かったら、また一緒に行こうよ」





ちょっとだけ、嘘がある。クライマックスが面白かったかどうかは、ちょっといまいち覚えていない。ただ、お客さんたちは「おもしろかったね」と話していたし、面白かったんだろう。
ね、と笑いかけると、イワンくんは目を腕でこすりながら、「ごめんなさい」ともう一度、小さくつぶやいた。

私はんーん、と返す。
本当に気にしてない。なんというか、イワンくんが戻ってきてくれただけで、十分だった。

「さ、それじゃあとりあえず今日までの感想を語りあおう!」
「はい、」

小さく、イワンくんが微笑む。

それから二人で歩き出そうとして、「あ、ちょっと待って、スマホの電源入れる」
鞄を探り、スマホの電源を入れてロックを解除。すると、画面にいつも自動表示されているニュース見出しが目に入ったので、タッチして詳細表示を見る。

「あ、なんかあったんだ……火事か。あっ、でも負傷者0だ」

独り言をこぼすと、隣のイワンくんがびくついた。ごめん変な独り言して。
画面を見たまま、私は歩き出す。






「うわ、珍しい!ねぇねぇイワンくん、今日は折紙サイクロンが、火事で人命救助だって!」
「あ、えと、」
「私あんまりヒーローとか興味ないけど、折紙サイクロン好きなんだよねー。こう、和風!って感じで」
「!」
「活躍してるの見ると、やっぱりうれしいなあ。ねぇ、イワンくんも好きでしょ?折紙サイクロン!」






そう言って歩いていると、ふとイワンくんが付いてきていないのに気がつく。
後ろを振り返ると、なぜかイワンくんが、両手で顔を覆って立ちすくんでいた。