「おばあちゃん、ただいま!」
「お邪魔しまーす」





電車を乗り継いで3時間半。
私と佐藤は、夏休みを利用しておばあちゃん家に来ていた。ちなみにこのおばあちゃんは、私のおばあちゃんである。

玄関から
大きく声をかけると、おばあちゃんが奥からひょっこり顔を出してうれしそうに笑った。

ちゃん、よう来た。よう来た。……ああ、あんたが例の」
「佐藤です。今日からお世話になります、あ、それとこれ、つまらないものですが」
「ああ別に気をきかせんでもよかったのになあ。ありがとう佐藤くん」

佐藤が紙袋を差し出して、それをおばあちゃんが受け取る。
おばあちゃんはにっこり笑って、私たちに向かって手招きをする。

「さあさ、中に入り」
「うん!あ、荷物置いたら川行って来る」
「帽子かぶって行きなさいよ」
「うん」

そう言って、私と佐藤は靴を脱いでおばあちゃんちに上がった。





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「ねえ佐藤、私とお泊りしない?」
「えっ」





一学期の終業式の日。私は佐藤と教室に何をするでもなく居残っていた。
私から奪った女性雑誌を見ていた佐藤は、私の声に驚いたように顔を上げた。





「つっても、おばあちゃんちなんだけど。いいよ夏の田舎」
「ええ、いいの?のおばあちゃん、気にしない?俺が行っても」
「うん。おばあちゃん一人暮らしで、寂しそうだから毎年行ってるの」
「へえ」
「去年は友達と行って二人でゲーム大会だったけど……今年は佐藤が良いな」





おばあちゃんに私の彼氏紹介したい、と言うと、佐藤は小さく笑った。
それから、読んでいた雑誌を閉じる。いったい何を読んでいたのだろうか。





「いいよ」
「本当?じゃあいつかってことなんだけど……」





私は手帳を取り出すと、『8月』のページを開いて、机の上に広げた。





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空に浮かぶ入道雲を見ながら、これでもまだ暑くないほうだな、と一人ごちた。
ピンクのプールバッグに少し荷物を入れて肩にかけ、おばあちゃんのほうを振り返る。

「いってきまーす」
「はい、行ってらっしゃい。暑いから気をつけてね」
「「はーい」」

佐藤と手をつなぎ、私はおばあちゃんに手を振った。

それから二人で、田んぼ道に沿って歩いていく。
ゴム草履がぺたぺた鳴っているのを聞きながら、他愛ない会話をした。





「川ってどこらへんにあるの?」
「結構近いかな。つっても10分はかかるけど。毎年行ってるんだよねえ」





そう言いながら時計を確認。
2時間くらいは遊べる……けど、水着も着てきてないし、まぁ1時間いたら良いほうかもしれない。

田んぼ道を抜けて、森のある方へ進む。
ガードレールに手を滑らせながら、これからの予定について二人で考えた。





「花火とかしたいよなー」
「打ち上げ花火なら、さっきの道路からきれいに見えるよ」
「おお、じゃあ見に行こーぜ!」
「おー、見にいこー」





そう言って二人で笑いあい、手を強くつなぎなおす。
私の耳には、遠くで流れる川のせせらぎが、すでに聞こえていた。





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「うわーすっげー、川だ川!」
「何をいまさら」





はしゃぐ佐藤に、しゅーっと虫除けスプレーを撒いてやる。私は刺されたこと無いけど、でっかい虫は結構いる。予防は大切だ。
自分にもスプレーを撒いて、麦藁帽子をかぶりなおす。

写真でも撮って友達に送ろうかな、と思っていたら、佐藤がすでにサンダルを脱いでいた。
佐藤はそろーっとつま先を伸ばし、水につける。「うわっちべたっ」

川って案外冷たい。毎年入っているので分かっているのだが、どうしても慣れない。
私もサンダルを脱いで、手に持ち、足を入れる。おお冷たい。夏だというのに、氷水みたいな冷たさだ。つま先がじんじんする。





冷たさに慣れてきたらしい佐藤が、ざぶざぶと足首までつかって進んでいく。
それからうれしそうに私に振り向く。

「ねーねー、これ魚とかいんの?」
「んー?……そこの岩陰、じっと見てみ?」

そう言うと、佐藤はしゃがんで私が指摘した場所を見つめる。
気をつけないと後ろぬれるよ。そう思っていたら、あっ、という声がした。

「なんかちっちゃい魚がいる!なんだこれっ」
「わっかんない、ハゼだと思ってんだけど」
「うわ、逃げるのむちゃくちゃ早い!」
「どれどれ」

サンダルを苔むした岩の上において、私も進む。結構石があってごつごつしているけれど、とがった石をふみさえしなければ痛くは無い。足つぼマッサージみたいなものだ。
佐藤が指差すところを見ると、小さな石に張り付いた何匹かの小さな魚。懐かしい。

今年も来ましたよ、というように指を水面に入れると、ものすごい勢いで砂埃を上げて逃げていく。漫画みたいだ。

「次来る時はタモと籠持ってこようか」
「次は絶対捕まえる!」

そう言って、佐藤がきらきらした顔で握りこぶしをつくった。
とても子どもっぽい表情でそう言うのだから、私は思わず笑ってしまった。

うろうろする佐藤を横目に、水が流れていく方向を見やる。
緑の葉っぱがさらさらと流れていくのを見て、夏だなあ、とぼんやり思った。





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川の流れに反して歩いていくと、どぼぼぼぼ、という激しい音が聞こえてくる。
大きな岩の間を、まるでちいさな滝のように水が流れているのである。

水の抵抗がはげしいから、えっちらおっちらそこまでやってきて、二人で笑いあう。
うおー、すげーはげしーを言いながら、流れ落ちる水の下に手を出す佐藤。
水の勢いで、腕が小さく上下に揺れる。

「つめてー」

そう言いながら佐藤が腕を引っこ抜く。手のひらが赤くなっていた。

「あと痛い」
「そりゃそうだ」

でもちっさい時はここで修行ーとかいって頭に水を打たれてたなあ。
そう言うと、佐藤は数秒とまり、何を思ったか、頭を水の流れ出る場所に突っ込んだ。
勢いよく突っ込むから、こっちにまで水しぶきがかかる。

「あ、ちょっ、」
「うひょー、爽快!」
「風邪引いてもしらないよ!」

そう言って佐藤の肩を引っ張る。
引っこ抜かれた佐藤は、犬みたいに頭を左右に振って水を飛ばした。





「こら、こっちに水飛んでるし」





そう言いながら、佐藤の髪に手を伸ばす。指先を髪の間に通らせながら、水を切ってやる。
それを繰り返していたら、佐藤が黙ってじっとこっちを見てきたので、私は手を止め、目をゆっくりつぶる。

数秒静かに唇を合わせて、離れたところでゆっくり目を開ける。至近距離に佐藤の顔があって、足は冷たいのに少し顔が熱くなった。
熱っぽい息が顔にかかって、川の音が、妙に耳につく。





「帰ろうか」
「……うん」





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持ってきたタオルで佐藤の頭を拭いてやったらもう一回キスしてきたので調子乗るなと頭をこづいてやった。
それから足も拭いて(なぜか私の足は佐藤に拭かれた)、また二人で手をつなぎ、帰路につく。

冷たさの残った赤い足の裏は、歩くたびに熱を帯びていった。
首にタオルをかけたままの佐藤が、ぼんやり空を見上げながらつぶやく。

「今日の夕飯何かなー」
「から揚げとポテサラだよ、たぶん」
「何で?」
「おばあちゃんにとってそれがご馳走だから」

そう言って笑いかける。
そっかあ、と言いながら、佐藤が指にこめる力を強めた。

「まだまだ日にちあるし、もう2回は川に行けるね」
「今度はちゃんと水着着てかないとなー」

そう言ってちらっと私を見る佐藤。少しだけ期待に染まる目に、私は小さく笑った。

「ちゃんと着るよ、私も遊びたいから」
「おおお……!」
「ちょ、変な反応しないでよ」





そう言って小さく笑いながら、私は珍しく、佐藤の大きな手を握り返した。