暑い。また今日も“夏”だ。
うんざりしながら、私は椅子から腰を上げ、奥の間で休んでいるお母さんに声をかける。
「お母さん、私出かけるね」
「どこへ行くの」
そう聞き返したお母さんは、とてもぐったりしていた。お母さんの横で、ベッドに寝ているお父さんも同じ。
それが悲しくて、私は努めて明るい声を出した。
「アイスを買いに。……お父さんと、お母さんのぶんも、買ってくるね」
******
今日もやっぱり、どの店もアイスが売り切れだった。
暑いのも相まって疲れがでてきたけれど、休むわけにはいかない。
手のひらを見ながら、私はそう考える。
途中で購入した飲み水も、一瞬でぬるくなってしまった。
ふと、視界の端にちらつく黄色いコート。
この暑いのに、と思って顔を上げると、会話が聞こえてきた。
「なぁジン、この街どこもアイス売り切れだぜ」
「そーだな」
「このくそ暑いのによう……こんな暑い日は、ビーチで美女はべらせてパラソルの下で涼むのが一番だってのに」
そう会話する黄色いコートに黒髪のお兄さんと黒い鳥。この街では見ない組み合わせだ。この街の人は皆、髪の毛が金色だし。
もしかして旅の人?そう思って、私は声をかけた。
「そこのお兄さん、」
「ん?」
「何だ?……おっ!」
二人(?)して私の方に振り返る。と、先ほどまでお兄さんの肩に乗っていた黒い鳥が顔面に迫っていた。驚いて一歩引いてしまう。
そしてなにやら、私に口説き文句らしきものをマシンガントークしてきた。「君ともっと熱い夜をすごしたい」とか言われたけど、正直冗談ではない。これ以上暑く、いや熱くなってしまったら――
困ったようにお兄さんを見ると、彼は私に近づき、「君、この街の人?」と聞いてきた。黒い鳥が少し横に避けてくれたので、「はい、」と返事をする。
「お兄さんは旅の人ですか?」
「ん、まぁそんなとこかな」
「……なら、早く出た方がいいですよこの街」
そう言って、少し視線を落とす。
お兄さんは黙って私を見ていた。
「……この街、年がら年中夏なんですけど」
「えっ、ずっとこの状態なワケ?」
黒い鳥が驚いたように聞いてくる。私はこくんとうなづいた。
「はい。……ちょっと前までは、寒暖が激しいにせよ、冬があったんですけど……なぜかここ最近、雪が降らなくて、ずっと夏のままなんです」
「だからアイス屋が大繁盛、ってワケなんだ」
「はい、私もアイスを買いに来たんですが……今日はもう無理でしょうね」
そう苦笑すると、黒い鳥が不思議そうな顔をした。
「なんでこの暑い中、わざわざ外に出るんだ?アイス買う前にアイスみたいに溶けちまうぜ」
「えっとですね……それは、このせいです」
そう言って、私は彼らに両の手のひらを向けた。
彼らは私の両手をまじまじと覗き込み、そして鳥のほうが大声を上げた。
「なんだこりゃ!赤いぶつぶつだらけだぞ!?」
「これはこの街特有の感染症です」
「感染症?」
不思議そうな顔をするお兄さんに私はこくんとうなづいた。
「私もよくは知らないんですが……この街の砂に混じる物質が、太陽に照らされると気化して体内に入るんです。私は若いから、取り込んでも手のひらで済んでますけど……」
つい、押し黙る。
出掛けに見た、ベッドに横になる、具合の悪そうなお父さんの姿。
「私の、お父さんとか。もう結構全身に出来ちゃってて。かゆかったり痛かったりして、動けないんです」
「それはつい最近のこと?」
「雪が、降らなくなってからです」
お医者さんによると、この街に降る特有の雪がその物質を相殺していたんだそうだ。
ただその雪も降らないから、今は困っている。
私は再度手をかざす。
「極度に冷えた、雪みたいなもの。そういうものを取り込むと、一時的に衝動が和らぐんです。たぶん暗示効果なんだと思いますが……そういう性質と、このぶつぶつがまるでストロベリーアイスみたいだから」
通称、アイス病。
そう締めると、お兄さんは顎に手をあてて黙ってしまった。
それから、にやっと笑って私の顔を見た。
「ねえ、これからオレと、デートしない?」
「えっ?」
「はぁ!?何言ってんだジン!」
ちょっと食べたいものがあるんだ。そう言って彼は快活に笑う。
私は首をかしげて彼に聞いた。
「なにが、食べたいんですか?」
そういうと、彼はちらり、とどこかに視線をやった。
私は、その視線の先を追う。
「この世で一番、おいしいアイスクリームさ」
******
彼の言うアイスが気になり、結局着いてきてしまった。
ちなみに途中で鳥――キールの名前を教えてもらい、私も教え返した。お兄さんの名前はタイミングを逃して聞けていない。
「なぁ、これが終わったらオレととろけるようなあまーいデート、しようぜ」
「えっ」
「脳みそとろけたみたいな冗談はほどほどにしとけよ、キール」
着いた。そう呟いた彼に、私は顔を上げる。
それから私は驚いて口を開いた。
憎たらしいほどの晴天にたたずむ、巨大な建物。
「ここ……ゼニス・クーラーカンパニーの工場じゃない」
「何だ?そのゼニス……」
「ゼニス・クーラーカンパニー。今もっともホットなアイスメーカーさ」
そう言ってお兄さんが説明を加える。
ゼニス・クーラーカンパニーは私でも知っている。この街に本部の工場があるのに、なぜか街にはこの工場のアイスが出回らない。
だが、風の噂によればとてもおいしいアイスが売りだされているのだとか。
ちなみに、この建物は街で一番高い。アイスコーンをさかさまにしたようなタワーが中央にあり、天を向いている。遠くから見ると城みたいだ。
「これが“この世で一番おいしいアイスクリーム”?でもそれなら、この街を出て買ったほうが早いですよ」
この工場のアイスは“この街”だけ出回っていないのだから。
そう言うと、お兄さんはにやっと笑って私を手招きする。
「とりあえず入ってお願いしてみようぜ」
「お願いって……そんなのでもらえますかね?」
大体、入り口には警備の人が立っている。筋骨隆々で、今は遠目だからいいものの、近づいたら気絶くらいはしてしまいそうだ。
そうやすやすと工場見学、とはいかないだろう。
「心配ないさ、」
そう言って彼は、右腕から大きなナイフのようなものを出した。
「えっ?」
******
「びっくりした……実力行使するのかと思って肝が冷えましたよ」
「ひんやりしたなら、よかったんじゃない?」
からかうようにそういったお兄さんに、そういうことじゃありません、といいつつ、後ろを歩く。
先ほど右腕から仕込みナイフを出したお兄さんは、上手い事場を荒らし、警備の人がそちらに気をとられているうちに窓を割って侵入してしまった。
工場内は無人で、鈍い銀色の機械だけが延々と作業をしていた。光り輝くバニラアイスに目をとられたが、ここで盗んで泥棒にはなりたくない。
まぁ無断侵入しているから、罪は犯しているんだけど。
薄暗い工場の中を進んでいくと、ひんやりした冷気と、わずかに甘い匂いが漂ってくる。
冷えた湿気が乾いた肌を潤している気がして、思わず体の力が抜けた。
「ああ涼しい……このままここに住みたいな」
「こんなトコ住んだら、ひと夏のアバンチュールに乗り遅れちまう」
「……私は寒いほうが好きです」
今は、いっそう。
そう思いながら3人で奥へ奥へと進んでいくと、ごうんごうん、という地鳴りのような音が聞こえてきて、巨大な冷蔵庫のようなものを発見した。
冷蔵庫の下には太いパイプが這っており、大きな樹木のような印象を抱かせる。冷蔵庫のてっぺんには、一際大きなパイプが天上を突き破っていた。
扉は当たり前だが開きそうに無い。キールが引っ張って証明している。
この中もつめたいのかなあ、と思っていたら、お兄さんが冷蔵庫の扉をこんこんと叩いて「この中に、この世で一番おいしいアイスクリームがある」と呟いた。
私は驚いて、お兄さんを見た。
「この中って……でもこれきっと、開きませんよ」
「いや、」
そう言ってお兄さんが口を開いたときだった。
「貴様ら!何やっとるかー!」
きぃーん、と耳をつんざくような音。思わず二人で耳をふさぐ。
二人で音の発生源を見ると、そこには拡声器を片手にした背の小さな中年男と、たくさんの屈強な警備員たち。
「へー、警備は手薄な分、そう簡単には帰さないってワケ?」
「そうみたいだ」
そういいながら、お兄さんが私を後ろにかばう。
お兄さんが、ポケットに手をつっこんだまま、悠々とした態度で口を開いた。
「アンタ、ゼニス・クーラーカンパニーの社長さん?こんなに大量のアイス、独り占めしてたら腹壊すぜ」
「やかましい!お前ら、ワシの秘密を盗みにきよったな!」
拡声器を使い、男は叫ぶ。
あなたのほうがやかましいといいたかったが、話の中で引っかかる言葉があった。
「秘密……?何それ」
お兄さんと目が合う。
お兄さんはちらりと左を見た後、またもやにやりと笑った。
「さぁ。この冷蔵庫、開けてみたら分かるんじゃない?キール!」
「おう!」
キールが飛びたち、お兄さんの右腕に止まる。するとキールの体が、お兄さんの右腕に巻きついて変形する。
「コイツはアイスみたいに甘くてクールじゃないぜ――――――キールロワイヤル!」
******
キールの口から吐き出された緑の炎は、拡声器を持ったおじさん――ではなく、それよりも左手に飛んでいった。
「えっ?」
辺りが爆風に包まれ、白む。思わず目を閉じたが、その中でがこっ、がこんと、何かがぶつかる音が聞いた。
目を開けると、お兄さんが私を守るように、向かい合って盾になっていてくれた。
「あ、あの、ありが……」
「ほら、あそこ」
呆然としたままお礼を言おうとしたら、お兄さんが私の後ろを指差す。
不思議に思って、私は振り向いた。
「あっ」
冷蔵庫が少し開いて、そこから靄みたいなものが漏れ出している。
「何で開いて……」
「あれさ。あれが、このでかい冷蔵庫を閉めてたんだよ」
お兄さんが、正面を向く。私も釣られて正面を向くと、とてつもなく大きなバルブハンドルと瓦礫が、先ほどの拡声器を持った男と警備の人たちの上に落ちていた。彼らは全員目を回している。
もしかして、ピンボールみたいにバルブをはじいたのだろうか。驚いていると「さあ、デザートの時間だ」とお兄さんが私の手を引いた。
3人で扉に手をかけ、せーの、と声をかける。
そのとたん、冷蔵庫の中からとてつもない冷気の靄が溢れ出した。――いや、おかしい。
場はどんどん白くかすんでいって、「おい!?どこだ!?おい!」と叫ぶキールの声が聞こえる。
ワケがわからないまま立ちすくんでいると、私の手を握る人がいた。お兄さんだ。顔は見えないが、左にいることは分かる。
「――これ、何で冷たくないんですか」
そう、冷蔵庫を開けたときの、あのひんやり感がないのだ。
不思議に思ってお兄さんに聞くと、「これは雲なんだ」と言った。
「雲?」
「そう。ゼニス・クーラーカンパニーはあのでっかいタワーからこの街の特別な雲を吸い取ってたのさ」
あのとがったタワーは、そういう役割を果たしていたのか。
そこで私はぴんと来た。
「……それが、雪雲だったってこと?」
「そう、まさに“天上のデザート”。――この街の雪雲は、最高のアイスを作るのにかかせない材料ってわけ」
「だから、“秘密”……」
「こんなのが世間に知れたら、世界中のアイスメーカーがお熱になっちまう」
靄――いや雲が晴れ行く中で、私ははっとして手のひらをみた。
「斑点が消えてく……」
赤いぶつぶつは、地面に溶け行く雪のように消えていた。
――思わず笑みがこぼれる。
キールも飛んできて、私の手のひらを見やると「おお、イチゴ模様が消えた!」と叫んだ。
私はお兄さんを見上げて笑った。
「ありがとう、お兄さん。これが“この世で一番おいしいアイスクリーム”の正体だったんですね」
「いや、まだだよ」
「え?」
「あっ、おいこら、待てよジン!」
そう言ってお兄さんは私を引っ張っていく。
目指すは、冷蔵庫の中。
「天下一品のアイスは、一番大きい雲の中にある」
「?」
「何言ってんだ?」
「小さい雲じゃ、“ただの雪”になってしまう」
あふれ出す雲の中を、お兄さんはずんずんと歩いていき、ちょうど中央辺りで止まった。
そこには白い色の、溶けかけた塊があった。
すると、お兄さんがどこからか金色のスプーンを取り出し、私とキールに向かって投げた。
私とキールは顔を見合わせる。
「この世で一番おいしいアイスクリームの正体は……アイス病の抗生物質の塊さ」
そう言ってお兄さんがその塊を掬い、口に運ぶ。
目があって「食べてみなよ」と言われたので、私も恐る恐るスプーンを伸ばす。
バニラよりも白っぽく、スプーン越しの感触はやわらかい。そう思いながら口へと運ぶ。隣で一足先に食べたキールが固まっている。
ひんやりしたそれを、舌の上にのせると――
******
工場を出ると、外は雪が降っていた。さっきまで真夏だったのに不思議な気分だ。そう思って、キャミソールからむき出しの腕をさする。
ふぶいてはいないものの、ひとつひとつの雪の粒は大きい。
――ただ、心は温かかった。これでお父さんも、街の皆も元気になる。
「こりゃすぐ積もるぜ」
「そーだな」
キールと会話しているお兄さんのコートを、私はつかむ。
お兄さんは不思議そうに私を振り返った。
「本当にありがとうございました。あの、良かったら、お兄さんの名前、」
「……」
「さっきキールが言ってた気がするけど、ちゃんと本人から聞いてないし」
「ああ、」
「それから、……また会えますか」
そう言うと、お兄さんは私の頭をぽんとなでて笑った。
その笑顔は、――さっき食べた“この世で一番おいしいアイスクリーム”よりも魅惑的に見えた。
「オレはジン。――またね、」