飲み会からカラオケへ移行してのオール。それは俺にとって、ちょっとした夜遊び。
朝日を迎えてけだるさと共に帰宅。
一人暮らしだからとがめるものもいないままベッドにダイブ。

高校まで真面目にやっていた俺は、そんな大学生活が楽しくてたまらなかった。





・・・・・・・





「んじゃ、お疲れ様でしたー」
「でしたー」

医学部の友人たちが挨拶を交わし、解散していく。
昨晩から今朝にかけて、前期課程終了の打ち上げがあった。
現在午前5時50分。

夜になるとにぎわう表通りは、早朝なのもあってがらんとしている。
遠くから蝉の鳴き声が聞こえてきた。

外に出ることでようやく分かる自分の酒臭さに内心驚きながらも、もう一度腕時計を見直す。デジタル表記が1分進んだことを教えてくれた。
バスも出てないし歩きで帰りますか、と思いながらぼうっと夏の空を見やる。まだ下のほうは白んでいるけれど、なかなか快晴だ。

そんなことを考えていたら、す、と自分の横を自転車を引いて過ぎ去る人物がいた。宮田だ。
半袖のシャツに朝日がけて、夏らしい。

「宮田!」

宮田はゆっくり振り返り、俺を視認する。
俺はゆるく笑って、口を開いた。





「一緒に帰ろ」





・・・・・・・





宮田と初めてあったとき、こいつは本当に人間なのだろうかと思った。
何かこの世のものではないものが、人の皮をかぶったような。特に冷たい表情が、俺にそう感じさせた。
悪くない言葉でいえば浮世離れしているというか。

まぁ今では、付き合いとして打ち上げなんかに参加する宮田を割と人間くさく感じているけど。当たり前か。





「あちい。朝でも夏はあっちいなあ」
「そうだな」





そっけない返事をする宮田だが、最初のころよりずいぶんと話しかけてくれるようになった。そういう些細な変化が少しむずがゆい。
俺は結構世話焼きだと思う。変化にここまで嬉しくなるのは宮田が初めてかもしれないが。

ただ、宮田とは仲がいいほうだと思うけど、未だに宮田はあの表情をふとした時にする。それを見ると、俺はまだまだこいつに踏み込めていないのかもなとも思う。
そう思うたびにじれったく、無理やり踏み込んでしまいたくなる。





「ていうか宮田眠くないの」
「特には。は、眠くないのか」
「んー、酒で眠いはずなんだけど、どうにも変に興奮してるみたいで。今日は帰ってもすぐに寝れなさそうだな」

そう言って俺は笑うが、宮田はくすりともしない。話を聞いていないわけではない。
以前宮田に何故笑わないのかと指摘したところ、コイツは3日悩んだ末に「無理なものは無理だ」と真顔で告げてきて、逆に俺が笑わせられる羽目になった。

汗の湿気で髪の根元がじわじわするなあと思いながら、俺は別の話を宮田に振った。

「そういえば宮田さあ、お盆とか実家帰省すんの?」

すると宮田は苦い顔をした。
笑顔を作らないこいつの表情は、基本的にマイナス寄りだ。





「帰るというか……帰らなければならない、だな」





ならない、の部分を強調しながら、宮田は吐き捨てるように言った。
いかんこと聞いただろうかとぼんやり考えて、詮索はしないでおこうと考えた。

は、帰るのか」
「まぁ一応?帰って来いって電話煩いしね」

それに帰省にデメリットが伴うわけでもないし。もしかしたら盆を待たずに帰るかもしれない。
そう返事をして、わずかに白んだ空を見つめる。広い道で一直線に進んでいると、まるで空に吸い込まれてくみたいだ。

しばらく2人でなんとなく無言になっていると、ふと宮田が口を開いた。





「俺は、あそこには帰りたくない」





まるで駄々をこねる子どものような口調だった。





「え?」





宮田はふっと、どこか遠くを眺めて、うわごとのように言葉をつなげた。

半分以上内容が分からず、俺は思わず足を止めてしまう。唯一聞き取れたのは繰り返し呟かれた「まきのさん」という人名くらいだろうか。
酷く鬱屈とした背中は自転車と共に、立ち止まる俺を無視して進む。





「……」





まただ。また宮田は人ではないものになった。しかもいつもより重症だ。
胸中に苛立ちの芽が出る。

立ちすくむ俺に気づいたのか、宮田は数歩先で立ち止まって俺を振り返った。
白い逆光が、宮田の表情を黒く塗りつぶす。
それもまた酷く気に食わなかった。

宮田は数秒、熱に浮かされたように俺を見ていた。





「……すまない、今、言ったことは忘れてくれ」





そう言って、憑き物が落ちたように宮田はうつむいた。
俺はとっさに駆け寄って、宮田の手首を取る。





「……?」





現状を把握していないらしい宮田が、ぼんやりした目で俺を見る。俺は「ごめん……思わず」と謝った。
しかし指は解かない。今ここで、こいつのこの手を離してはならないと、俺は直感的にそう思った。

宮田の表情を伺う。それはいつもの無表情だったが、迷子の子どものような不安を、俺は宮田から感じ取っていた。





でもこれで、何となく分かった。
宮田に取り憑くこの世のものではないものは、たぶんこいつの故郷か、あるいは「まきのさん」なる人物が孕んでいるのだと。





そう思うと、俺は手をいっそう離せなくなった。
こいつを、あっちの世界には渡したくないと思った。

これを逃したら、次会う機会は1ヶ月以上先だ。





「なあ宮田」
「何だ」





平生の声の調子に戻りつつある宮田の返事。
こいつはまたこの世のものではないものを内に飼おうとしている。

でも、そうはさせるか。





「俺と、逃げてよ」
「……は、」





ぐい、を握ったままの手を引くと、宮田はバランスを崩して俺の肩あたりにもたれかかった。手から自転車のハンドルが離れて、音を立てて倒れる。
からからと回る車輪の音と、遠くで鳴く蝉の声を聞きながら、俺は宮田の耳にそっと唇を寄せた。





「俺は、……親の金だけど、お前を養えるくらいはできるよ。もちろん俺が医者になったら自腹でなんとかするし。……なあ、なんでそっちに行っちゃうんだよ」





そう言うと、ひゅっと喉の鳴る音がした。
それから、苦痛にゆがんだ声が聞こえてきた。





「俺は……帰らなきゃ、いけない。帰らなきゃいけないんだ」
「なんで。今なら、逃げられる」





お前は自由で、お前の前には逃げるための手段も用意されている。

ゆっくり、呪詛をはがすように、俺は甘言をつむぐ。
でもこれは冗談じゃない。本気だ。

俺の手に握られたままの手首の先で、指がうごめいているのを感じる。





今だ。今なら、いける。





「なあ、……俺と一緒に、逃げよう宮田」





しん、と音が消えた。蝉の鳴き声も、だんだん目覚め行く街の呼吸も、すべてシャットアウトされる。
宮田の吐く息が、肩口にかかって妙に熱い。

それから宮田は、小さく、本当に小さく声を絞り出した。





「……助けて、くれ…………」





そう言いながら俺の背に回るもう片方の手。





「うん」





俺は強く、ひとつだけうなづく。





そうして、街が目覚める前に、俺は宮田を攫った。