蝉のやっかましい声が脳みそをがんがん揺さぶる。心なしか目の前がゆらゆらしている気がした。
焼けて茶色の飛び散るアスファルトを、紺色のハイカットスニーカーで踏みしめる。つま先がもわもわと熱い。





「あ……」
「あれ……」





ふと前方から見知った人物がやってきているのに気がついた。
スライムみたいにでろでろしていた意識が形を成す。
相手も私に気づいたようで、ぶっとんでいたような目の焦点が私を捉えた。

「やっほ佐助」
「よっ」

明るい髪色は太陽の光を集めているように思えて暑苦しい。私のほぼ黒の髪も暑苦しいと思うけど。
お互いに、片手を上げて明るい感じで挨拶をしているのに、顔は死んでいた。

のろのろと片手を下ろしながら、佐助が首をかしげる。

「今からバイト?」
「いえす。佐助も今からバイト?」
「……いえす」

はははー、と二人で乾いた笑いをこぼして、無言になる。
数秒見つめあっていると、佐助が「今時間大丈夫?」と聞いてきた。私はかくんとうなづく。こういうちょっとした動作ですら面倒くさい。このまま首がもげ落ちても不思議じゃない。

「じゃあそこでちょっとお話しよーぜ」

だるそうな顔で、佐助が道脇のバス停を指差す。
安っぽいベンチの上に簡単な庇が備え付けられているだけなのに、オアシスみたいに見えた。末期だ。











佐助とはいわゆる恋人同士にあたる。
が、先ほどの様子からも分かるように、私たちはあんまり恋人っぽく見えない。

お互いバイト至上主義で、それを承知の上で付き合っている。
同じ時間を共有するのなんて偶のオフか、学校くらいだ。
そもそも佐助との馴れ初めはバイト先である。

佐助がポロシャツをぱたぱたさせながらため息をつく。





「何だっけ、コンビニのバイトだよな」
「そう。今日から11連勤」
「うへえ」
「そっちは引越しだっけ?」
「夏休みって意外とピークなんだよねえー」





このあっつい中引越しするなんて、どういう神経をしているのだろうか。ああでも、夏休みだから、ということもあるのか。
日陰からのぞく青空は、憎たらしいほど夏らしい。

二人でまたもや無言になり、はあ、とため息をつく。
私は腿に肘をついて地面を向き、佐助は後ろ手をついて安っぽい庇を見上げる。

私はちらりと横目で佐助を見た。





「引越しって結構儲かる?」
「まあ、肉体労働ですから。お客さんによっては特別にお駄賃もらえたりするよ」
「いいなあ」
「そっちは?」





んん、と私はうなる。
佐助のバイトに比べたら私のバイトは特筆できる長所は無い。

まぁ他のコンビニに比べたら、お客さんがよくやってくると思うけれど。





「でかい通りに面しててオフィス街近くだから人いっぱい来る。こないだおじさんに痴漢された」
「はぁあ?気をつけろよ、危ないぜ」
「こう、ぺろっとお尻を触られてね。もう慣れてきた」
「一応彼氏の前だからそういうこと言うのはやめようねー」





ぽむぽむと頭をなでられた。手のひらから発せられる熱を感じたけど、不快ではない。
佐助はこうやって私の頭をなでるのが好きだ。前になぜかと聞いたら「……アニマルセラピー?」と言われた。

つま先を見ながら、バイトのことについて考える。
今のバイト好きだけど、最近周りに自給いいの増えてきたんだよね。





「体力さえあれば引越し業者も……うーん」
「やめといたほうがいいぜ。こんな日はクーラーの下が最高だよ。
……そうだ、夏休みどっか暇?」
「バイト三昧だよ」
「……だろうね」





反射的に返事をしてから、なんとなく鞄からスケジュール帳を出す。カーキ色のスケジュール帳はプレゼントとして佐助からもらったもので、升目が大きくて使いやすい。
ぽけーっと口をあけて停止していた佐助が、私のスケジュール帳を覗き込んでくる。私はページの右端を、とんとんと指でノックした。





「ああ、でも終わりくらいはあいてるな」
「あ、そうなの。ならあけといてくんない?せっかくだからどっか遊びにいこーよ」
「いいけど給料日前になるからお金そんなに無いかも」
「了解」





ぱたん、とスケジュール帳を閉じて鞄にしまう。
それから腕時計を確認した。











佐助と私が出会ったのは、二年前のお正月、とある百貨店の短期バイトでだった。

配送作業に割り当てられた私と佐助の間に、たいした言葉は無かった。事務的な会話をこなして、佐助が荷物を運ぶ。
私は黙々と商品をダンボールに詰めながら、つらい顔をせずに、それどころか笑顔で作業をする佐助に感心していた。作業の終盤でも、衰えないフットワークにもおののいたが。





6日間あった短期バイトの最終日、休憩中に佐助がジュースをおごったついでに告白してきた。
「好きなんだけど、付き合ってくんない?」と。





とてもシンプルに。今思えば少し簡素すぎる気もするが。
でも私も私で、まるでバイトで返事するときみたいに「いいですよ」と返事した。

別に嫌じゃないしいいよね。そんな簡単な考えが私の中にあった。





付き合って一週間くらいしてから、私はバイト至上主義だから佐助はほったらかしになるかもということを告白したら、自分もそうだから別にいいと言われた。
……の割には、佐助は私を、思ったよりもかまってくる。さっきの遊びに行こう発言だってそうだ。

あっさりしすぎてて、べたべたしない関係。私と佐助の共通の友達であるかすがには、「お前たち本当に付き合っているのか!?」と驚かれた。





そんなことをぼんやり回想しながら、私はベンチを立った。汗ばんだ手のひらがベンチに張り付いて気持ち悪い。
水筒でお茶を飲んでいたらしい佐助が、私を見上げた。





「もう行く?」
「うん、佐助は?」
「待って、俺も」





ごそごそとあわただしく水筒を鞄にしまい、佐助が立ち上がる。日差しが佐助の顔を直撃して、佐助はわずらわしそうに顔をゆがめた。
それから二人で歩き出そうとして、「あ」





全く逆の方向を向く私たち。そういえば、すれ違ったんだから行き先は逆に決まってるんだ。
佐助はああ、と言いながら困ったように頭の裏をがしがしと掻く。





「ここでお別れだね」
「あー、そうみたい」





佐助が私に近寄り、私の片手をぎゅ、と握る。
それから少し前かがみになって、目を閉じて額と額をくっつけてきた。





「何やってんの」
「充電」





佐助の額は少し汗でぬるっとするし熱い。でも黙っていた。顔の辺りがほわほわと熱い。肉まんになった気分だ。
どうすることもできずに、私は目を閉じた佐助の顔をまじまじと見る。

しばらくすると佐助の顔が離れていった。額に風が通る。
ぽーっと夢見心地で佐助の顔を見ると、佐助はにこりと笑って私の頭をなでた。





「よし、じゃあ俺様、張り切っていっちゃおうかな」
「ちゃんと水分摂るんだよ」
「そっちもね。室内だと思ってナメたらダメだから」





そう言って二人で握りこぶしを軽くぶつけ合う。
それから小さく笑った。





「じゃあがんばってな」
「そっちもね」





そう言って私たちは背を向け歩き始めた。
ぼんやり歩きながら、先ほどぶつけ合った握りこぶしを開いたり閉じたりする。

ああいう場面で甘くなれないのが、私たちの「駄目」なところなんだろうけど。

両腕を青空に向けて、私は大きく伸びをした。





「あー、佐助好き」