散々な一週間だった。

今週は、そう称するのが相応しい。特に、この金曜日は。
膝小僧は擦り剥けて、剥き出しの皮膚に風が触れる。

その度に私は惨めな気持ちになり、泣きそうになるのを堪える。





「……骸」
「はい?」






私をおんぶして歩いていく骸は、どんなに華奢に見えてもやっぱり違う生き物だと思った。
骸の肩に口元を埋めると、何か、真新しい匂いがする。不思議だ。





「今週、駄目駄目だった」
「……そうですねえ。どうしたら、体育で思いっきり転ぶ事なんか出来るんでしょう」
「……」
「少しくらい、手を抜いてやればいいものを」





うるさい。

もうそんな言葉すら惨めで、私は涙と嗚咽を飲み込んだ。
胸が一杯だけど、不思議を嬉しくは無い。絵の具で、何回も塗りなおしたみたいに、そこは厚く、重苦しい。





「……やだ、もうこんなの。一生このままだったらどうしよう」





口にしていて、無いと分かっていてもそんな気がしてたまらない。
こんなネガティブ思考いけない、と頭を振っても、それは消えてくれない。





「……馬鹿ですね。そんなワケないでしょう」
「知ってるよ。でも、本当に、このままだったら、どうするの?何兆分の一の確立とかで、この先ずっと何もいいことが無かったら」





私の言葉が可笑しいのか、骸はクフフ、とあの独特の笑い方で笑った。





小刻みに伝わる振動で、ぼんやりまどろむ。まるで、傷を修復してくれる魔法みたいに。





「……こんな不幸は、きっと今週限りでしょう」
「……うん?」
「今週、そうですね、明日明後日が終わり、月曜日が来れば、呪いは解ける。どうでしょう?」
「……何それ。シンデレラみたいだね。シンデレラは魔法だったけど」
「ああ、灰被りですか。言い得て妙ですね」





骸に言われた事を頭の中で繰り返しつつ、じゃあ、と思った。「骸は、嫌な事ないの」





絶対にある、と思いつつも、意地悪く聞かずにはいられなかった。
骸は、「あまりありませんね」とのんびり答える。その言葉が続いている事を感じ取り、私は黙る。





「でも、確かにあります。どうしようもない、避けようのないことが」
「そういうとき、どうするの」
「僕はもう慣れました」
「……やだよ、そんなのに慣れちゃうの」





骸が、どこか遠くにいる人みたいで、首に回した両手に、緩く力を加えた。
骸は特に反応を示さない。





「そうですね……。後は、もう諦めるしかないでしょう」
「……諦める」
「ええ。もうそれは、運が悪かった、と思い込むしかない。そうやって嫌な事を掃き出してしまえば、次にまで引き摺らない。
言ってしまえば、運のせいにします」
「……」





僕は、いつか不幸が終わることを知っていますから。





そう締めた骸の言葉は、軽い調子だったはずなのに、湿っぽかった。





なんだか急に、くだらない不幸続きでくよくよしていた自分が情けなくなった。
申し訳ないような、気まずい気持ちが広がる。





「ああ、あと」
「え?」
「その日一日を振り返り、本当に嫌な事しかなかったか思い出します」





これは最近気付いた方法ですが、と骸が続ける。
それから振り向いて、にっこりと笑顔を形作る。つかみ所の無いその笑顔は、気味が悪いと言われることもあるけど、私は好きだった。





「……ほら、ゆっくり、今日のことを思い出して」
「……今日」
「ええ、今日です」





今日。きょう。……今日は。「……今日、は」「はい」





今日は、一時間目が先生がいなくて自習だった。
昼の放課に食べたお弁当に、自分の大好きなおかずが入っていた。
五時間目にあったドッジボールで、ボールに当たりそうになった女の子の身代わりになった。
そしたら、思いっきり転んで心配されたけど、凄い勢いでありがとうって言ってもらった。
「……皆から笑われたけど、すごいね、って言われた……、言われたの……骸……」





全てを言い切って、私はみっともなく泣いた。
鼻を啜り、くしゃくしゃになる顔を戻せずに。





不幸に霞んだ、片手で足りるくらい小さな幸福を、私は思い出して奥歯で噛み締めた。





嬉しかった。――だけど、それを忘れるくらい、嫌なこともあった。





それも、嫌だった。
嬉しい事が全て、嬉しく思えなくなる。

骸はゆっくりと、私をあやすように言葉を紡いだ。

「嫌なら全て忘れればいいでしょう。でも、折角あったことまで忘れるのは勿体無いです。
君はまだ、幸せのほうが似合う」
「……骸だって、似合うよ」
「……クフフ、そうですか?」





そうだよ、と言いながら、私は泣きつづけた。

沈殿していた埃を、涙は洗い流す。
汚い色で塗りつぶされた、正常な自分が、顔を現す。





ふいに、骸が少し冗談めいた調子でこう言った。





「そもそも、僕という人間におんぶさせてる君は、贅沢で、世界一の幸せ者ですよ」
「……何それ」
「おや、そうは思いませんか」
「……」





それには答えなかった。だけど、





「骸」
「はい?」
「……骸も、幸せだといいね」
「……僕は今、君という幸せを掻き集めて生きていますから」
「何だそれ」
「口説き文句です」
「……言っちゃ駄目だな、それ」





思わず、泣いたまま笑う。





もう、暗い顔なんかしなくてもいいや、と思った。