最近、私は綺麗な人を見かける。
その人の横顔は切り絵みたいにすっきりしていて、まぁ言うなれば綺麗な顔をしている。
それから、よく溜息をつく。でも、それが不思議と、とっても様になっている。
そして、大抵綺麗なコートを羽織っていて(まぁ、ちょっと寒いですしね)、何故だか市場を回っては、食材を買い込んでいるのだ。
その目があんまりに真剣だから、私はついつい笑ってしまう。
そんな私は野菜を売る店の娘。とはいってもお母さんはいない。代わりのお婆ちゃんは只今休憩中。
目の前に真っ赤なトマトがずらりと並んでいる。みんなつるつると光を映して中々美味しそう。
「すいません」
「はい」
すい、と顔を上げた先には。
「あ」
「?」
その……彼がいた。
にっこりとした顔。睫が長い。目を閉じているから、それがよく分かる。
口が綺麗に弧を描いていて、何だか……完璧だ。
彼は少し首をかしげていたから「なんでも無いです」といっておいた。
「では、そのトマトを二つ」
「これですか?」
少し回りのより赤くって、綺麗な線を描いたトマト。
身がいっぱい詰まっていそうだ。見る目があるんだな。
私はそれを袋に入れた。ずっしりしているから、やっぱり美味しいと思う。
「どうぞ……よく、ここらへんにいますよね」
「はい」
お金を渡しながら会話。
けれども、彼の笑みが崩れる事は無い。
……良い身なりしているけど……なんだろう、使用人さんかな。
私は、なんとなく近づけた気がして、もう一個、大きなトマトをおまけした。
*
「こんにちは、ミカエリスさん」
「こんにちは、さん」
私は、店番をぼうっとしていた。
今日は林檎が並んでいる。その林檎の上に、黒い影が映ったから、私はにっこり笑って顔を上げた。
彼は有名なお家の執事で、セバスチャン・ミカエリスというらしい。
私には一生縁の無さそうな職種の人である。
でも私はなんだかミカエリスさんと一緒にいてほっとするので、この時間だけはいつも店番をさせてもらう。
彼も彼で、まるで自身が時計みたいにきっちりといつも通りやってくるのだ。
寒い冬に、暖炉がやってきたみたいな気持ちになって、私はつい頬を緩める。
「今日は野菜が無いですけど、林檎があるので、これでデザートとか、どうですか」
「そうですね……無難に、アップルパイでも」
アップルパイ。美味しそう。いいなぁ。
時折ミカエリスさんの口から出てくる謎の料理名は、私が生涯口にすることは無いだろうけど、
ミカエリスさんが料理上手ってことは良く分かる。
「はいどうぞ、甘いと思います」
「そうですか。ありがとうございます、さん」
ずっしり来る林檎の重みに、私はミカエリスさんにまた今日も会えたんだ、と実感する。
もはや習慣みたいなものなのだ。
*
「こんにちは、ミカエリスさん」
「……」
「……あの、ミカエリスさん」
今日のミカエリスさんは、何だか変であった。しかもいつもより来るのがちょっと遅い気が……?
……なーんて、日記風に言っている場合ではない。
やってきた途端、顎に手を当てると、私を品定めするように見てきた。
あの…食材をじっと見ている目だ。
なんだかちょっぴり恐くなってしまった中腰の私に、救いの女神はやってきた。
「どうしたの、」
お婆ちゃんだった。
思わず、少しだけほっとしてしまった。
「あ、おば、お婆ちゃん……」
「初めまして」
ミカエリスさんは、ちっちゃなお婆ちゃんに気がつくと、にっこりと笑って挨拶をした。
それから、とんでもない事を言った。
「少しばかり、さんを貸していただけませんでしょうか?」
*
てっきりお婆ちゃんタイプの人は、ああいう、今時のカッコいい人は苦手だと思っていた。
けれども、しっかりした態度が気に入ったのか、はたまた外見が気に入ったのか、
快く返事をしてしまった。
私は、店番の格好のまま(つまり、アップルグリーンの質素なワンピースに白いエプロン、ラベンダー色のショール)街中を歩いている。
髪はさっき吹いていた冷たい風の所為でお世辞にも綺麗とはいえないし。
「ど、どこ行くんですかミカエリスさん」
なんだか、自分が好奇の目に晒されているようで、顔が噴火しそうなほど暑い。
ミカエリスさんはクス、と笑った。嫌味は無いらしい。
「着いてきてくだされば、分かりますよ」
「はぁ……ミカエリスさんは、お買い物、いいんですか?」
「今はまだ自由時間なので……」
「へぇ」
自由時間とかあるんだ。そりゃ、そうか……。ずっと働き詰めだったら疲れるもんね。
ふう、と息を吐けば真っ白な息が、私の口から漏れた。唇が乾いて冷たいけど、慣れっこだ。
彼は、私の半歩前を歩く。速すぎず、時折こちらを見て笑う。
私はそれに気がついて、間抜けな顔をしながらミカエリスさんを見ていたと思う。
*
「ここです」
革靴とロゴのくりぬかれた黒い看板が、通りにぶら下がっていた。
「靴屋さんですか……」
「ええ」
こんな綺麗なところは入った事は無いんだけれど……。
ビリジアンで綺麗に塗られた枠にガラスのはめ込まれたショーウィンドウ。
綺麗な靴が、リボンを綺麗にかけられて堂々とそこにいた。
「さん?入りますよ?」
「わ、はい!」
私はあわててミカエリスさんを追った。
それにしても、なんで私?
*
私が悶々と考えている間、ミカエリスさんは靴を見ていた。
私が考え考え、疑問の先に行き着いたのはこんな答え。
ミカエリスさんの雇い主が、女の人なんだ。
だから、選んだ上で、私にも見てもらいたいんだ。多分。
途中で「私のため」とかおこがましいことを考えてしまった事は無視しよう。
うんうん、と頷いていると、肩にぽん、と手が置かれた。
思いっきり心臓が跳ねた。
振り向けば、綺麗な紅茶色の目と、私の目がかち合う。
「ミカ、エリスさん……終わりました、か」
「ええ。支払いも終わりました」
彼はにっこりと笑った。
相変わらず、良く出来た人形みたいに綺麗だ。こんな人形いないだろうけど。というか人形自体あんまり知らないけど。
そんなことを考えていたら、彼が私をじっと見つめていることに気がついた。
ま、まただ。恥ずかしい。
「な、なんですか?」
私は笑顔を作って問いかけた。
すると、彼も少し柔らかく笑った。にっこりとは違って、なんだか、ふんわりしている。
「さん。失礼ながら、足を出してください」
「え、ええ?」
「いいですから」
私は恐る恐る足をつい、と出した。こ、これでいいのかな。
ぼろっちい靴を履いたままだし、靴のしたは灰色のソックスだ。
彼はしゃがんで、私の手を自分の肩に置くと、私の足から靴を脱がした。
一瞬、ミカエリスさんが何をしたのか分からなかった。
「あ、の」
「はい、なんでしょうさん」
「何を」
彼は少し笑いながら、靴と靴下をするすると脱がせていく。
それから、買ったといっていた靴を私に履かせた。ここからでは、どんなデザインの靴か分からないけど。
「あの、ミカエリスさん。いいんですか、靴」
「ええ」
「私、足、汚いかもですよ。誰かにあげるものじゃないんですか」
「ええ」
なんだ、やっぱり。
そう思ったとたん、ちょっぴり膨らんでいた気持ちが、しゅーんとしぼんでいった。
そうして、私が少しばかり落ち込んでいる間にも、片足に真新しい靴がはまって、
片方の爪先を靴に入れているところだった。
「出来ました」
その声に、私は思わずよろめいたがなんとかふんばった。
彼はすっくと立ち上がると、私の顔を見てにっこりと笑った。ああ、さっきの笑顔が見たかった。
「貴方にです」
私は、彼の言葉が、未知の言葉みたいに聞こえた。
それでも、頭は正常に起動していて。
「私に……って」
「その、靴です」
私は下を見た。正確には、自分の足をみた。けれども、スカートでちょっと見えにくい。
だから、アップルグリーンの裾を少しだけ持ち上げた。
そこには、きらきらした黒い靴があった。
ショーウィンドウの靴みたいに派手じゃないけれど、そこに存在感がある靴。蝶々結びされた紐が可愛らしい。
底は低いけど、擦り切れてしまった靴よりは高い。
「え、あ」
「貴方に、ですよ」
ミカエリスさんはもう一度、言葉を教えるようにそう言った。
私は、何だか、よくわからなくなってしまった。
でも、商売柄、お礼を言わなくては、というよく分からない使命感に駆られた。
「あの、ミカエリスさ」
「セバスチャン、でいいですよ」
「あ、あ、セバスチャン、さん」
「はい」
私は、言葉に詰まった。
人生の中で、最後にこんなにうれしかったのは、いつの日だったか。
分からない。分からない。けど。今ものすごくうれしい。
でも、どうにも飲み込めなくて。
きっと、私は、このうれしさに、保証が欲しいんだと思う。
「何で、ですか、私、こんな」
「お礼です」
「お礼……もしかして、あの、トマトとか」
なんて滑稽だろうか。
綺麗なお店のなかで、トマトって。私、恥ずかしい。
彼はくすくすと笑った。あの、柔らかい笑みだった。
「私はいつも、さんといて、ほっとするんですよ」
私は、口を覆った。
涙が、ぼろんと一個、不格好に手の甲を流れた。
私は、息が詰まりそうになりながら、こくこくと頷いて、言いたい事を言った。
「私も、です、セバッ、チャンさんと、お話していると、安心、します」
しゃくりあげたから、彼の名前が歪んだ。
彼がどんな表情をしているか分からないけど、きっとさっきみたいに柔らかい笑みをして、小さく笑っているに違いない。
彼は、私の顔に張り付いた私の両手を包み込んで、祈るみたいにした。というより、泣き止んでください、と彼が言っているみたいだった。
私はなんだか、それに安心して、ぐちゃぐちゃの顔のまま笑ってしまった。
Today
(どうしよう、貴方の言葉に、私が安心してしまう)