気まずい雰囲気、冷たい温度……主に視線が。
きっと私は、この人よりも柿本さんの方が性に合うだろうと思った。

……いやいや、この人も同じ人間だ。きっとちょっと話せば空気はどうにかなるさ!





「……あ、と。、と言います」
「……城島犬」






そんな無理矢理なポジティヴ精神を発揮したら、雰囲気が酸欠状態になった。ごふ。

しーん、という音を通り越して、耳鳴りがしそうなほど静かなお部屋。
私、もじもじ。
犬さん、じとーっ(私を見る目が)。





何ゆえそんなに見てくるんだ……。
……警戒とか? 空き巣は流行ってませんよ? ここ空家違うけど。




いたたまれなくなり、私は口を開く。
しかし、若干コミュニケーション力に不足のある私は言葉を紡げない。……打ち解けた後は普通に喋れるんだけど。

あああああ、無意味な言葉が、スポンジケーキのようにぼろぼろ零れ落ちてってるよ……!





「えーと、あ、と、あの、」何か言えよ! 何か! 何かってな「うがああああああー!」「きゅあああああ!?」





突然、犬さんが立ち上がり、頭を掻き毟り叫んだ。それはもう狼とかライオンの咆哮の如く。
私はびっくりして、人生でも数えるほどしかないであろう驚き声をあげてしまった。犬さんに対して小動物的ですねとか上手くない事を考えている場合じゃない。……いや、まぁ、きゃーじゃないところが私っぽいから、良いんだよ。……良いの!

ばくばくと心臓を体外に出す練習をしている私に、犬さんは指をさす。あ、爪黒、……いや今はどうでもいいよ!





「お前、早く喋れよ! つーか、あいつに似ててムカつくんらけどっ!」
「えっ、あっ、はい!?」
「うぎぃー!!!!!」





どったんばったん、犬さんが地面を踏む。
失礼ながら、アパートに住む一住人としては、苦情が来ないか心配になった。
犬さんは、悶絶、というかもどかしそうな顔をして地団駄を、って、あ「犬、煩い」「ギャン!」





犬さんの背後に現れた柿本さんが、鍋で思いっきり犬さんの頭をぶったたいていた。ど、ドメスティックバイオレンス……、とはちょっと違うのか? というか、さっきの素手はやっぱり痛かったのだろうか。鍋が衝撃波で、ごいんごいん、と軽く振動している。

犬さんは勢いよく床にしゃがみこみ、頭を押さえるのかと思いきや、頭にも触れない様子で、両掌を中に浮かせて痛みに耐えていた。手の甲に血管が浮かんでいる。





「あ、だ、」大丈夫ですか、と言おうとして、さっきと全く同じ展開になっていることに気がつき、口を噤んだ。





柿本さんは、何ごともなかったかのように座り、近くにあった小さな丸いテーブルを引き寄せ、お盆を載せた。お盆には、コーヒーとお茶が二つ、お饅頭が適当に入っている器が置いてある。鍋は床にそのまま放置。

柿本さんはコーヒーの入ったマグカップを手にとり、口をつける。
私は、何をしていいか分からず呆然とする。





どうしよう、と目線だけうろうろしていたら、柿本さんと目が合う。「飲まないんだったら下げるけど」「いやっ、飲みます飲みます!」喉渇いてます!





犬さんには悪いが、お茶を頂いた。普通の麦茶だった。

その後、少しだけ復活した犬さんが、涙目になりながら器に手を突っ込み、お饅頭を一気に三個くらい掴んでいった。
私にそっぽ向く形ではあったけど、犬さんがお饅頭を食べてくれたので、ちょっとだけ嬉しくなった。
柿本さんは「後で食べる」と言ったまま、コーヒーを啜っていた。